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2017年03月22日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(64) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(64) 大村益次郎
▲鴻城軍が陣を置いた洞春寺(山口市水の上町)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(3月15日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

移 陣

 その頃、山口では、井上馨が総督を務める鴻城軍が、長寿寺(山口市本町)から常栄寺(現・洞春寺、山口市水の上町)へと陣を移し、佐々並へ進軍を開始。17日、そこで保守派を退け勝利をおさめた。
 一方、赤村で政府軍を破った諸隊の陣営では、高杉晋作が萩に進軍することを主張するが、それを山縣有朋が反対した。有朋は、萩までの道は険しく兵も疲れているため、一旦山口に陣を移し、根拠地を固める案を主張。諸隊の幹部もこの意見に賛成した。結局、晋作が折れる形となり、19日の夜、彼らは松明をかざし大田から山口へと移陣を開始した。この時、行軍の列は12キロにもおよんだといわれている。

政権交代

 その後、萩では、それまで中立の姿勢を保っていた杉孫七郎ら200人が、自らを鎮静会議員と称し政権交代を推し進めた。一方、諸隊は、一部の兵が各地から萩城下へと進軍。萩沖からは癸亥丸が空砲を放ち保守派政府を威嚇した。こうした状況の中、孫七郎らは保守派の政府員を更迭し、改革派の政府員を復職させた。この時、諸郡でも多くの代官が交代し、藩内には新たな政権が確立していったのである。

(続く。次回は3月29日付に掲載します)


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