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2017年04月19日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(68)大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(68)大村益次郎
▲荒物商を営む(兵庫県豊岡市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(4月12日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

新生活

 潜伏生活を始めてから150日が経過した頃、孝允は、直蔵のすすめにより、出石宵田町に家を借り、町人として生活することになった。
 この時彼は、名前を広江孝助と名乗り、直蔵の親戚ということにした。そして身の回りの世話は、広戸兄弟の妹で、13歳になる住子がすることになった。
 家財道具をそろえ、一段落すると、孝允は、畳表やむしろ、竹籠などを扱う荒物屋を開くことになった。紺の筒袖に前掛け姿で接客に当たり、時には、近所の子どもたちを集め、花札などをして遊び、勝ち負けに関わらず菓子を与えたといわれている。

馴染みの芸妓

 荒物商としての生活が落ち着いてくると孝允は、京都の対馬藩邸に預けていた芸妓・幾松のことが気になった。
 その頃、幾松は、幕府や新選組の厳しい探索から逃れるため、下関に移っていた。そして、1865(元治2)年2月、孝允の脱走を手伝った甚助が下関へやって来た。そこで、益次郎と伊藤博文らは、孝允に帰国を促すため、甚助と幾松に手紙を託し出石へと向かわせることにしたのである。
(続く。次回は4月26日付に掲載します)


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