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2017年06月07日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(75) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(75) 大村益次郎
▲山口と広島との県境を流れる小瀬川(和木町)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(5月31日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

長州再征

 薩長同盟が成立したことを知った益次郎は、薩長和解工作に尽力した中岡慎太郎に次のような手紙を送っている。
 「薩長の勢いをもって、闕下に立ち候えば、幕も風前の一燈影光を滅し候儀は、論をまたざる儀と存じ候。とにかく今回の御尽力ついに弊藩の幸福なるのみか、この一事にて天下後来の風潮相定まり候儀につき、実に天下の幸福と申すべく、貴兄方の御功績著として宇宙に輝き候儀、誰かは感載いたさざらん。(中略)なにとぞ正々堂々海陸兵を鼓し、幕府の悪逆を燼し、外夷の暴戻をこらし、一天万乗の神威を遠く海外に輝かせたく、これのみ相楽しみ申しおり候」
 幕府に対抗する準備も着々と整っていった。
 一方、幕府は、1866(慶応2)年1月22日、長州再征を実行するための勅許を得た。老中・小笠原長行は、長州藩主父子、徳山、清末、長府の3支藩の藩主、岩国領主を4月21日を期限とし、広島に召喚するよう命じた。しかし、長州藩は、第一次長州征討で、すでに処分は済んでいるとし、召喚命令を受理しなかった。ただし、衝突を避けるため、藩主名代として宍戸璣らを広島に送った。
(続く。次回は6月14日付に掲載します)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
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