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2017年07月12日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(80) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(80) 大村益次郎
▲高津川を望む(益田市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(7月5日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

渡 河

 「大隊、飛び込め」
 ここで益次郎は、兵士たちに川に飛び込むよう命じたが、彼らは、この命令に憤激したという。だがこの時、益次郎には考えがあったようだ。 
 「敵に向かって進んで行く時には、皆が癇癪を起こすくらいでなければいかぬ」 
 こうして、高津川を渡り終えた彼らは、横田へ入ると、町を南北に縦断する街道を北へ進み、益田を目指した。そして、しばらく進むと称念寺の辺りから二手に分かれ、益田の手前、机崎で合流することになった。

扇原関門

 函渠を通り抜けると、そこにはまるで過去にタイムスリップしたかのような風景が待っている。
 昼なお暗い山林の中の峠道を行くと、その先に広場が見えてくる。扇原関門跡である。そこには、津和野藩と浜田藩の領界を示す標柱がそれぞれ1本ずつ建てられている。そして、石組みの前にひっそりとたたずむ石碑には、「岸静江戦死之地」の文字が刻まれる。
 岸静江とは、当時この関所の守りを命じられていた浜田藩士である。 
 宝蔵院流槍術の名手である彼は、部下を従え、関所を守備していた。
(続く。次回は7月19日付に掲載します)


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