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2017年07月26日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(82) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(82) 大村益次郎
▲時間が止まる(益田市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(7月19日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

武勇の最期

 関門を閉鎖し、小銃を発射する守備の浜田藩兵たち。これに対し長州軍の第一大隊および中隊は、散兵を敷き、小銃を乱射。南園隊一番小隊が関門に突撃した。 
 この時、静江は、雨のように飛来する弾丸の中で、物おじすることもなく、指揮を執っていたが、やがて部下に退却命令を下した。だが、間もなく、長州軍の発した弾丸が、静江の胸腹に命中。静江は側にあった床几に腰をおろした。そして、槍を杖代わりに持ったまま敵兵を睨みつけ、そこで壮絶な最期を遂げたのであった。
 長州軍は、最後まで任務を全うしようとした彼の姿に心を打たれたという。この時、益次郎は、ここを通りかかった西禅寺の住僧に、静江を手厚く供養するよう依頼したそうだ。現在、静江の墓は、関門跡から数百㍍離れた場所に、ひっそりとたたずむ。隣には彼が祀られた祠もある。ここに参詣すると足腰が丈夫になるといわれている。
 さて、こうして関門を突破した長州軍だが、その一隊である南園隊は、敗走する関門兵を追撃し、多田村に至った。この戦いで長州軍は、散兵戦術を駆使。その後も、この戦術で幕府軍を翻弄することになる。

(続く。次回は8月2日付に掲載します)


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