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2017年11月01日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(96) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(96) 大村益次郎
▲向こうに見えるは彦島(北九州市小倉北区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(10月25日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

激戦の後

 四境戦争において、長期間にわたり激戦が繰り広げられたのが小倉口の戦いであった。
 長州軍は、小倉・熊本軍、幕府海軍、陸軍、1万7千人に対し、奇兵隊、報国隊、正名団、盤石隊など1千人が出陣。この時、奇兵隊は、山縣有朋、福田侠平が軍監(副将)として指揮を執り、これを補佐したのが、馬関口海陸軍参謀の高杉晋作であった。
 1866(慶応2)年6月17日、海戦を制した長州軍は、7月27日の赤坂の戦いでは、奇兵隊小隊司令の山田鵬輔が銃弾に当たり壮絶な最期を遂げ、18名が戦死、100人以上が負傷した。この他にも常関寺に置かれた吉田病院(下関市吉田町)に搬送され、治療の甲斐なく亡くなった兵士たちもいた。
 また、この戦いの中、長州軍は、戦死者を収容することができず撤退したが、小倉藩の庄屋たちによってその遺体が火葬された。そして、熊本藩の横井小楠が中心となり、遺骨を収集。防長戦死之塚を建て手厚く葬った。その後、木戸孝允の要望で、墓を長州藩へ移転する話が浮上したが、結局、実現されることなく、墓を長州藩領が見える場所へと移すことになった。
(続く。次回は11月8日付に掲載します)


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