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2017年11月08日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(97) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(97) 大村益次郎
▲長州軍が陣を置いた福聚寺(北九州市小倉北区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(11月1日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

小倉城自焼

 小倉口、赤坂の戦いで多くの犠牲者を出した長州軍だが、士気は衰えなかった。7月28日、高杉晋作や白石正一郎らは、関門海峡を渡り大里の浜から上陸を開始した。そして、船木兵200人、その他の小隊も海峡を渡り、大里の本道や山手の各所に砲台を築き、町中には大篝火を焚いた。
 29日、小倉軍は総攻撃を開始するため熊本軍に援助を依頼した。だが、30日、熊本軍は撤兵を始めた。そして、幕府老中・小笠原長行も小倉の陣営から撤退。諸藩軍も退却の動きを見せたため小倉軍は、8月1日、小倉城に火を放ち、田川郡香春町に移動。その後、芸州口、石州口では9月上旬より止戦交渉が行われ、戦いは終結したが、小倉口ではその後も戦闘が続き、9月末まで一進一退の攻防戦が繰り広げられた。

四境戦争の終結

 10月12日、小倉口でも止戦交渉が行われることになった。そして、2回目の交渉は小郡御茶屋で行われた。長州藩は広沢真臣、楫取素彦が出席。小倉藩は、正使・生駒主税、副使・保高直衛が交渉に臨み、1867(慶応3)年1月23日、和議が成立し、講和約定書を交換した。
(続く。次回は11月15日付に掲載します)


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