2018年01月01日
再び上を目指して! 18年もレノファ山口FCとともに
実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)
再び上を目指して!
18年もレノファ山口FCとともに
J1昇格プレーオフに進出できる6位以内を目指し開幕した、レノファ山口FCの2017(平成29)年シーズン。結果は自力J2残留こそ勝ちとったものの、11勝5分26敗、勝ち点38の20位と、J1への道の険しさを痛感させられた年となった。この部では、今季再び上を目指すチームと選手、そして応援企業やファンなどそれぞれの熱い思いを5ページにわたってお届け。まずは苦しい戦いの続いた2年目のJ2シーズンを、10試合ごとに振り返ってみよう。
1-10節(2月26日~4月29日)

▲ゴールを決めた#40小塚選手
開幕戦(FC岐阜戦)は前半#9岸田和人選手の2得点でリードしながらも引き分けに。第5節(カマタマーレ讃岐戦)で#40小塚和孝選手の超ロングシュートにより開幕初勝利。第9節(名古屋グランパス戦)ではこの日(4月22日)が誕生日だった#8小野瀬康介選手のゴールをふくむ2対0の快勝。しかし勢いに乗りきれず、10節までの成績は2勝3分5敗。
11-20節(5月3日~6月25日)
3連敗から第13節(京都サンガFC戦)の引き分け後、再び6連敗。第15節(モンテディオ山形戦)が、JFL時代からチームを育ててきた上野展裕監督最後の指揮となった。暫定就任の猿沢真治監督を経て、第18節(ファジアーノ岡山戦)からカルロス・マジョール監督が就任。第20節(ロアッソ熊本戦)で11試合ぶりの白星をあげた。
21-30節(7月1日~8月26日)
第22節(モンテディオ山形戦)2対0、第23節(カマタマーレ讃岐戦)3対1とシーズン初の2連勝。そこから1点差負けの悔しい試合が重なるが、J3降格圏からの脱出をめぐる「裏天王山」、第28節(ザスパクサツ群馬戦)は#28レオナルド・ラモス選手の2得点などでレノファが制した。他会場の結果から順位は21位のままながら、浮上への足掛かりも見えた試合となった。
31-42節(9月2日~11月19日)

▲最終戦ゴールの#27大石選手
第31節(京都サンガFC戦)に2対1で勝利、2連敗をはさみつつ第34節(松本山雅FC戦)でも3対2と競り勝つ。終盤5試合は3勝1分1敗と上向きの成績でシーズン終了。ただ、最終戦の第42節(愛媛FC戦)は後半21分に#27大石治寿選手のゴールで先制しつつも終了間際に同点を許し、勝利で飾ることはできなかった。他会場の結果から、最終順位は20位の残留圏内に。
◇ ◇ ◇
42試合のうち、20試合が1点差負け。総失点は69点でリーグワースト2位、総得点は48点でリーグ16位だった。先制点を奪いながらも同点や逆転を許した試合は5度あり、集中力と決定力の不足が今季への課題となった。とはいえ、新しい攻守の形を最後につかんだかにも見えた2年目の舞台。経験を糧にした、新生レノファ山口FCの今季の戦いぶりに期待。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
新監督に霜田正浩氏
コーチ陣も新たな顔ぶれ

2017(平成29)年11月、カルロス・マジョール監督の解任を受けて、新監督に霜田正浩氏が就任した。霜田氏は、選手時代はフジタ工業や京都紫光クラブなどに所属。京都や東京でコーチを歴任したのち2009(平成21)年に日本サッカー協会入りし、技術委員、代表強化などを担当。2017年8月からベルギー1部リーグのシント=トロイデンでコーチを務めていた。
なお、トップチームコーチには北海道コンサドーレ札幌でコーチを務めた名塚善寛氏が、同GKコーチには東京ヴェルディでコーチを務めた土肥洋一氏が就任した。
チームとして、一選手としての思いに迫る
鳥養選手・福元選手に八つの質問
苦しい戦いの続いた昨シーズンだったが、終盤戦では今季への期待を感じさせる試合展開を見せてくれたレノファ山口FC。J2・2年目の舞台を終えての心境と今後の展望、また1人のサッカー選手としての姿勢や心構えを、主将の鳥養祐矢選手と昨季加入の福元洋平選手に聞いた。質問内容は①昨季の目標と結果②自身への評価③思い出深い試合④今後の課題と対策⑤自身の「武器」や「ここを見ていてほしい」というところ⑥プロ選手として大事にしていきたいこと⑦尊敬している・影響を受けた選手⑧サポーターやファンへのメッセージ。
ボランチとして攻守に躍動
鳥養祐矢選手
背番号11 ポジション:MF
①プレーオフ進出を目指していましたが、あと少し…という所で踏ん張れず、勝ちを逃がすことが多かったです。②キャプテンや新たなポジションなどチャレンジの年でした。なかなか結果が出せずに悔しく思います。③チームとして10試合勝ちなしから勝つことのできたアウェイ熊本戦。個人としてはけがから復帰したホーム熊本戦。あの声援、歓声は一生忘れられない。④けがの予防、補強。年齢と身体に合ったトレーニング(内容は日によって変わる)。⑤泥臭く、アグレッシブなプレー。チームが勝つためなら何でもする。⑥感謝の気持ちを忘れないこと。⑦ユースの先輩の佐藤寿人選手。レノファをJ2に導いた平林輝良寛。⑧いつも優しく、試合の時は熱い、唯一無二の存在と感じています。応援ありがとうございます。夢、希望、感動を与え、多くの笑顔を届けられるように全力で努力し続けます。
【プロフィール】1988(昭和63)年5月千葉県生まれ。ジェフユナイテッド市原・千葉クラブ(リザーブズ)、SAGAWASHIFC、FC琉球を経て2014(平成26)年からレノファ山口FCに所属。2017(平成29)年はキャプテンを務め、J2リーグ16試合出場。
プロ14年目のDFリーダー
福元洋平選手
背番号4 ポジション:DF
①失点数を減らすことを目標としていましたが、苦しい時間での失点が多く、我慢することができなかった。②けがが多く終盤の大事な時期に力になれませんでした。③ホーム最終戦、成績が悪い中、たくさんの人に来場していただき、素晴らしい雰囲気を作っていただきました。④けがをしない身体づくり。無意識にしている走り方、身体の使い方を改善すること。⑤1対1でのディフェンスの駆け引き。⑥無理という考えから入らず、自分に何ができるかと自分主体に考えること。⑦プロに入ったときの先輩の三木隆司選手。DFのこと、人として影響を受けました。⑧いつもホームで温かく熱い応援をしていただき、感謝しています。もっと皆さんと喜びを分かち合えるよう頑張っていきたいと思います。
【プロフィール】1987(昭和62)年4月大分県生まれ。大分トリニータU-18、大分トリニータ、ガンバ大阪、ジェフユナイテッド千葉、徳島ヴォルティスを経て、2017(平成29)年からレノファ山口FCに所属。年代別日本代表も経験。昨季J2リーグ22試合出場1得点。
これまでも、これからも、チームとともに
レノファ山口に至る歩み
レノファ山口FC創設13年目、そして3度目のJ2ステージを前に、あらためてこれまでの道のりを振り返ってみたい。レノファ山口の前身である山口県サッカー教員団監督を務めた現レノファ山口アンバサダーの山本貴司さんに、当時の思い出や今季への期待を聞いた。
-教員団の思い出を聞かせてください。
1949(昭和24)年、サッカー好きの教員たちが集まって作ったチームが山口県サッカー教員団です。1980(昭和55)年に中国リーグ昇格、その後1997(平成9)年から2004(平成16)年の間に2度の降格と昇格を経験し、課題を見つけては改善の繰り返しでした。学校行事や部活が優先のため、練習時間も試合に行ける人数も限られ、私も監督兼選手として出場していました。1998(平成10)年ごろから一般企業や大学卒業生などの参加が増え、次第に教員の参加者が減った半面、練習時間も確保できるようになりました。
-レノファ山口誕生時の思いは?
2006(平成18)年、山口県サッカー協会の「Jを目指すチーム創り検討委員会」で、同団を母体としたJリーグ参入を目指す新クラブとして「レノファ山口FC」が誕生。山口にプロサッカーチームができることに半信半疑な協会に対し熱意を持って働きかけ、創設に至ったときは「やっと1歩動き出した」と感慨深かった。当時は山口国体と時期が重なっていたこともあり、機運を盛り上げるために必死でした。
-チームへの一言をお願いします。
JFL参入から順調にJ2まで上がってきたチームですが、簡単にはJ1へ行かれないことをしっかり学んだ数年だったと思います。昨季の上野監督からマジョール監督という初の外国人監督への交代、そして今シーズンの霜田監督就任と、ここ1年で3人もの監督の指揮を経験できることは本当に貴重だと思います。監督が違えばサッカーも違うので、ワンランクアップした選手たちの活躍に期待したいですね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
チームを支えるクラブスタッフ紹介
商品マーケティング 縄田健太郎さん
2016(平成28)年、レノファのJ2参入から勤務しています。オフィシャルグッズの企画・販売担当として斬新な発想を心掛け、昨季は企画商品数も2016年の2倍に。ホーム・アウェイ共にしっかり露出できた1年でした。
今後も出来るだけ多くの皆さんにレノファグッズを広め、スタジアムに足を運んでいただいて“オレンジ”を増やしたいと思っています。また、ニーズに合う商品の企画・販売にも取り組みます。選手・スタッフ・フロント一丸となり、1年間戦っていきますので、応援よろしくお願いいたします。
サンデー山口もレノファ山口を応援しています。
サンデー山口は、レノファ山口のオフィシャルサプライヤーとして紙面を提供。レノファ山口の「今」を伝えるコーナー「異体同心」を金曜版で隔週連載中です。2013(平成25)年3月スタートから、2017(平成29)年12月22日付掲載で125回目を迎えました。コーナーでは、レノファ山口のスケジュールや最新情報だけでなく、選手の横顔紹介やチーム内での裏話なども登場します。http://sunyama.soreccha.jp/c14270.htmlで、第1回目からのバックナンバーも読めます。
再び上を目指して!
18年もレノファ山口FCとともに
J1昇格プレーオフに進出できる6位以内を目指し開幕した、レノファ山口FCの2017(平成29)年シーズン。結果は自力J2残留こそ勝ちとったものの、11勝5分26敗、勝ち点38の20位と、J1への道の険しさを痛感させられた年となった。この部では、今季再び上を目指すチームと選手、そして応援企業やファンなどそれぞれの熱い思いを5ページにわたってお届け。まずは苦しい戦いの続いた2年目のJ2シーズンを、10試合ごとに振り返ってみよう。
1-10節(2月26日~4月29日)

▲ゴールを決めた#40小塚選手
開幕戦(FC岐阜戦)は前半#9岸田和人選手の2得点でリードしながらも引き分けに。第5節(カマタマーレ讃岐戦)で#40小塚和孝選手の超ロングシュートにより開幕初勝利。第9節(名古屋グランパス戦)ではこの日(4月22日)が誕生日だった#8小野瀬康介選手のゴールをふくむ2対0の快勝。しかし勢いに乗りきれず、10節までの成績は2勝3分5敗。
11-20節(5月3日~6月25日)
3連敗から第13節(京都サンガFC戦)の引き分け後、再び6連敗。第15節(モンテディオ山形戦)が、JFL時代からチームを育ててきた上野展裕監督最後の指揮となった。暫定就任の猿沢真治監督を経て、第18節(ファジアーノ岡山戦)からカルロス・マジョール監督が就任。第20節(ロアッソ熊本戦)で11試合ぶりの白星をあげた。
21-30節(7月1日~8月26日)
第22節(モンテディオ山形戦)2対0、第23節(カマタマーレ讃岐戦)3対1とシーズン初の2連勝。そこから1点差負けの悔しい試合が重なるが、J3降格圏からの脱出をめぐる「裏天王山」、第28節(ザスパクサツ群馬戦)は#28レオナルド・ラモス選手の2得点などでレノファが制した。他会場の結果から順位は21位のままながら、浮上への足掛かりも見えた試合となった。
31-42節(9月2日~11月19日)

▲最終戦ゴールの#27大石選手
第31節(京都サンガFC戦)に2対1で勝利、2連敗をはさみつつ第34節(松本山雅FC戦)でも3対2と競り勝つ。終盤5試合は3勝1分1敗と上向きの成績でシーズン終了。ただ、最終戦の第42節(愛媛FC戦)は後半21分に#27大石治寿選手のゴールで先制しつつも終了間際に同点を許し、勝利で飾ることはできなかった。他会場の結果から、最終順位は20位の残留圏内に。
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42試合のうち、20試合が1点差負け。総失点は69点でリーグワースト2位、総得点は48点でリーグ16位だった。先制点を奪いながらも同点や逆転を許した試合は5度あり、集中力と決定力の不足が今季への課題となった。とはいえ、新しい攻守の形を最後につかんだかにも見えた2年目の舞台。経験を糧にした、新生レノファ山口FCの今季の戦いぶりに期待。
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新監督に霜田正浩氏
コーチ陣も新たな顔ぶれ

2017(平成29)年11月、カルロス・マジョール監督の解任を受けて、新監督に霜田正浩氏が就任した。霜田氏は、選手時代はフジタ工業や京都紫光クラブなどに所属。京都や東京でコーチを歴任したのち2009(平成21)年に日本サッカー協会入りし、技術委員、代表強化などを担当。2017年8月からベルギー1部リーグのシント=トロイデンでコーチを務めていた。
なお、トップチームコーチには北海道コンサドーレ札幌でコーチを務めた名塚善寛氏が、同GKコーチには東京ヴェルディでコーチを務めた土肥洋一氏が就任した。
チームとして、一選手としての思いに迫る
鳥養選手・福元選手に八つの質問
苦しい戦いの続いた昨シーズンだったが、終盤戦では今季への期待を感じさせる試合展開を見せてくれたレノファ山口FC。J2・2年目の舞台を終えての心境と今後の展望、また1人のサッカー選手としての姿勢や心構えを、主将の鳥養祐矢選手と昨季加入の福元洋平選手に聞いた。質問内容は①昨季の目標と結果②自身への評価③思い出深い試合④今後の課題と対策⑤自身の「武器」や「ここを見ていてほしい」というところ⑥プロ選手として大事にしていきたいこと⑦尊敬している・影響を受けた選手⑧サポーターやファンへのメッセージ。
ボランチとして攻守に躍動
鳥養祐矢選手
背番号11 ポジション:MF

【プロフィール】1988(昭和63)年5月千葉県生まれ。ジェフユナイテッド市原・千葉クラブ(リザーブズ)、SAGAWASHIFC、FC琉球を経て2014(平成26)年からレノファ山口FCに所属。2017(平成29)年はキャプテンを務め、J2リーグ16試合出場。
プロ14年目のDFリーダー
福元洋平選手
背番号4 ポジション:DF

【プロフィール】1987(昭和62)年4月大分県生まれ。大分トリニータU-18、大分トリニータ、ガンバ大阪、ジェフユナイテッド千葉、徳島ヴォルティスを経て、2017(平成29)年からレノファ山口FCに所属。年代別日本代表も経験。昨季J2リーグ22試合出場1得点。
これまでも、これからも、チームとともに
レノファ山口に至る歩み
レノファ山口FC創設13年目、そして3度目のJ2ステージを前に、あらためてこれまでの道のりを振り返ってみたい。レノファ山口の前身である山口県サッカー教員団監督を務めた現レノファ山口アンバサダーの山本貴司さんに、当時の思い出や今季への期待を聞いた。

1949(昭和24)年、サッカー好きの教員たちが集まって作ったチームが山口県サッカー教員団です。1980(昭和55)年に中国リーグ昇格、その後1997(平成9)年から2004(平成16)年の間に2度の降格と昇格を経験し、課題を見つけては改善の繰り返しでした。学校行事や部活が優先のため、練習時間も試合に行ける人数も限られ、私も監督兼選手として出場していました。1998(平成10)年ごろから一般企業や大学卒業生などの参加が増え、次第に教員の参加者が減った半面、練習時間も確保できるようになりました。
-レノファ山口誕生時の思いは?
2006(平成18)年、山口県サッカー協会の「Jを目指すチーム創り検討委員会」で、同団を母体としたJリーグ参入を目指す新クラブとして「レノファ山口FC」が誕生。山口にプロサッカーチームができることに半信半疑な協会に対し熱意を持って働きかけ、創設に至ったときは「やっと1歩動き出した」と感慨深かった。当時は山口国体と時期が重なっていたこともあり、機運を盛り上げるために必死でした。
-チームへの一言をお願いします。
JFL参入から順調にJ2まで上がってきたチームですが、簡単にはJ1へ行かれないことをしっかり学んだ数年だったと思います。昨季の上野監督からマジョール監督という初の外国人監督への交代、そして今シーズンの霜田監督就任と、ここ1年で3人もの監督の指揮を経験できることは本当に貴重だと思います。監督が違えばサッカーも違うので、ワンランクアップした選手たちの活躍に期待したいですね。
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チームを支えるクラブスタッフ紹介
商品マーケティング 縄田健太郎さん

今後も出来るだけ多くの皆さんにレノファグッズを広め、スタジアムに足を運んでいただいて“オレンジ”を増やしたいと思っています。また、ニーズに合う商品の企画・販売にも取り組みます。選手・スタッフ・フロント一丸となり、1年間戦っていきますので、応援よろしくお願いいたします。
サンデー山口もレノファ山口を応援しています。
サンデー山口は、レノファ山口のオフィシャルサプライヤーとして紙面を提供。レノファ山口の「今」を伝えるコーナー「異体同心」を金曜版で隔週連載中です。2013(平成25)年3月スタートから、2017(平成29)年12月22日付掲載で125回目を迎えました。コーナーでは、レノファ山口のスケジュールや最新情報だけでなく、選手の横顔紹介やチーム内での裏話なども登場します。http://sunyama.soreccha.jp/c14270.htmlで、第1回目からのバックナンバーも読めます。
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