アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 2人

店長情報 トップページ
店長情報

2018年04月04日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(118) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(118) 大村益次郎
▲枕流亭跡より一の坂川を望む(道場門前)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(3月28日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

協約の内容

 「一、国元より今般繰出候軍兵一応三田尻へ、碇泊御引合可申上候事。但為差引大山格之助、来二十五六日頃より罷出三田尻へ滞在可申候事。一、於尊藩国元より之軍兵三田尻へ着船迄は、御待請相成、同時御出張之運に致し、弊藩軍艦二艘之内、一艘一日先に摂海へ着船注進の事」
 これは、大久保利通の執筆による、薩長連合軍出兵協約の一部である。
 国元(薩摩)よりこの度出張する兵士は、三田尻へ碇泊し、その指揮は大山格之助(綱良)が執り、25、26日頃より三田尻に滞在すること。長州兵は、薩摩兵が三田尻に着船するまでは待機し、同時に出張すること。薩摩船は2艘来るので、1艘は摂津湾へ先発することなどが記されている。
 また、この他にも3条の協約が決められており、そこには、総軍は薩摩船が着いた翌日には摂津湾まで進むこと。当月中の実行を約束し、日時については時期を見て定めること。薩摩侯出兵の際、上方の形勢次第では、長州藩領のどこかに滞在してもらうことなどが取り決められていた。
 こうして、協議の後、利通は京都へ、綱良は薩摩へと向かい、山口を後にした。
(続く。次回は4月11日付に掲載します)


同じカテゴリー(四境戦争 大村益次郎)の記事画像
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(185)大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(182) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(181) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(180) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(179) 大村益次郎
同じカテゴリー(四境戦争 大村益次郎)の記事
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(185)大村益次郎 (2019-07-24 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年 (2019-07-17 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(182) 大村益次郎 (2019-07-03 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(181) 大村益次郎 (2019-06-26 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(180) 大村益次郎 (2019-06-19 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(179) 大村益次郎 (2019-06-12 00:00)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。