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2018年04月11日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(119) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(119) 大村益次郎
▲右田毛利邸跡周辺の様子(防府市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(4月4日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

芸州藩との協約

 「一、薩兵三田尻へ着艦の上、弊藩(長州)の船、出帆一同罷登可申、貴藩(芸州)の御船は、御手洗にて御待合の事」
 20日、芸州藩の使節である池田乙次郎が山口を訪れた。そこで長州藩は、薩摩藩との協約内容を伝え、さらに、芸州藩とも協約を結んだ。
 そこには、薩摩兵が三田尻に到着するのを待って長州藩の船も出港すること。芸州藩の船は御手洗港で待ち合わせをすることなどが記されていた。 
 また、その頃、幕府より、長府、清末、徳山藩主と岩国領主が呼び出されていたが、いずれも病気を理由に応じることができなかった。そこで、右田毛利家より、毛利内匠を上京させることになった。
 この時、護衛の任に当たることになったのが、奇兵隊、遊撃隊、整武隊、鋭武隊、膺懲隊、第二奇兵隊の総勢480人であった。彼らは、25日までに三田尻に集結するよう命じられた。
 21日には、毛利内匠参謀として、国貞直人、楫取素彦、長松文輔、山田顕義らが上坂を命じられ、中所仁蔵、二階良選が病院総督となり、医師を10数名率いて出発することになった。
(続く。次回は4月18日付に掲載します)


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