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2018年10月31日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(148)大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(148)大村益次郎
▲千両松周辺の様子(京都市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(10月24日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

千両松の戦い

 1月5日、この日も昨日同様、鳥羽・伏見方面には寒風が吹きつけていた。
 鳥羽口においては、第三中隊(旧整武隊)が薩摩軍とともに会津軍と対峙、激戦を制覇した。
 伏見口では、第五中隊(旧振武隊)が伏見街道沿いに進み、千両松において旧幕府軍と交戦。大砲2門を奪うと、勢いに乗じてさらに進んだ。
 だが、この時、湿地帯の葦原の中に、会津軍の槍隊20人余りが身を潜めていた。不意を突かれた第五中隊は、司令・石川厚狭之介が槍で刺されたが、それに屈することなく、刀で相手を斬った。だが、重傷を負った厚狭助は、そこで、ついに斃れてしまった。
 当時、この辺りは、一方は宇治川、一方は沼地で、その間を一本の道が走っていた。散兵戦術が使えないため、ここで第五中隊は、多くの死傷者を出すことになった。
 そこにやって来たのが、中隊司令・三浦五郎率いる第一中隊(旧奇兵隊)と因州軍の砲隊である。
 彼らは、砲撃を始めると、その後、葦原に潜む槍隊を銃撃。最も勇敢を極めたといわれる会津軍の槍隊は、ここで多くの兵を失うことになるのであった。
(続く。次回は11月7日付に掲載します)


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