2018年07月06日
馬頭観音(山口市大内御堀)

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山口中央高校の前を上流に行くと、御堀橋の手前にいつも気になっていた自然石の石仏がある。ガードレールに守られている馬頭観音様である。昔から村と村の境にあり、橋と橋の袂に多くあるが、馬の病気を治す仏様として祭られ、江戸時代には馬の守護神として信仰された。当時は人と馬とは同じく旅人であり、人馬の共通の守護神であったと思う。
彫りは浅いが、道の側にある様子とガードレールに守られている姿を撮影する。
(ニコンD200 60ミリ F8 1/125秒)
2018年06月29日
木梨邸とスイレン(山口市宮野桜畠)

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スイレンの花が咲いたかと木梨堤を訪ね、木梨精一郎氏のひ孫である木梨恒實さんと出会う。例年の3分の1だが、整備されまた満開の時期が来ると思うと話される。木梨邸は慶応3年の建造と聞くが、木梨精一郎は江戸城無血開城に長州藩士の中心参謀として参加した人物である。維新150年といわれるが、知ってもらいたい人物である。(6月19日撮)
木梨邸とスイレンを上の建物と下の堤2分の1の撮影とする。
(ニコンD200 35ミリ F8 1/125秒)
2018年06月22日
チシャノキ(山口市仁保市)

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舟山八幡宮は今から800年前、鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請されたといわれるが、50年以上も前から撮影してきた樹は、県指定天然記念物となる。樹の根元に魅せられ度々撮影するが、数年前の台風で折れ、のちに切られた樹に新芽が出ていて確実に生きている。僕の著書「昭和の残像」の中に元気な根元を表現するが、拝殿前の大杉の姿は今は無い。
樹齢は何百年かと思うが、一度切られて蘖でまた新生なのか聞きたい撮影である。
(ニコンD200 18ミリ F8 1/30秒)
2018年06月15日
山田顕義の碑(山口市白石)

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湯田温泉にあった“瓦屋”は、幕末から明治初期に維新の志士たちが利用した旅館だが、瓦屋の長女龍子は山田顕義の妻となる。松下門下生であり、軍人として功績を挙げ、初代司法大臣となる。日本法律学校(現日本大学)を設立するが、顕義の胸像は法学部Ⅰ号館の玄関脇にひっそりとあり、来年開校130年に何と思うか。
旧米山荘の坂道にあるが、草が多くの場は少し手を加えた撮影である。
(ニコンD200 70ミリ F7.1 1/30秒)
2018年06月08日
地蔵様(山口市古熊一丁目)

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古熊天神の参道はふるくま橋の前からだと思う。僕が大殿中学の時、毎日この前を通った記憶がある。古熊天神の山中から現在の地に移されたという地蔵は、万福寺の黒地蔵(市指定文化財)に酷似した様に驚く。立て膝はそのままで、木造と石造の違いだが、万福寺の黒地蔵は大内義隆公の寄進と証明されている。
御堂の前面に棚があり、この角度しか撮影ができなかった。
(ニコンD200 18ミリ F8 1/30秒)
2018年06月01日
狛犬(山口市八幡馬場)

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今八幡宮の狛犬とよく似た物が、台湾台南市の台南神社にあると小方宮司より聞く。調べると、1895(明治28)年下関の春帆楼で日清講和条約が調印され、台湾総督を2代桂太郎(萩)、3代乃木希典(長府)、4代児玉源太郎(徳山)、5代佐久間左馬太(山口)、11代上山満之進(防府)と、5人の長州人が50年のうち25年を治めたことで理解できた。
高い場にあるので、下からしか撮影できなかった。
(ニコンD200 300ミリ F8 1/250秒)
2018年05月25日
御神木(山口市宮野三の宮 仁壁神社)

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周防五の宮のうちで三の宮は、現在でも鎮守の森である。平成9年の本殿の火災で、樹齢800年ともいわれた御神木は、空洞が煙突となり2日間燃え続けたという。翌春に新芽を吹いたが、平成26年の台風で神楽殿側に傾き、緊急に伐採された。御神木で作製されたストラップの守護札を高橋宮司よりいただく。
蘖の神木よ頑張れと思う樹の幹から蘖を半分で撮影する。
(ニコンD200 50ミリ F8 1/125秒)
2018年05月18日
菜香亭(山口市天花)

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平成16年に移築された菜香亭の建物は馴染んできたが、かつて新館玄関の左側にあり、後ろの塀のため見えなかった書を今は見ることができる。「天花馬之鍗於見 昭和拾弐年陽春甲兵衛書」とある。作太郎と山口焼展の最終日に、山口周辺を250%に拡大し数人でその場を訪ねると聞き感激する。今後の取材に緊張もする。サンデー山口に連絡を。
天気の良い日に、菜香亭を表現する撮影である。
(ニコンD200 10ミリ F8 1/125秒)
2018年05月11日
野辺の石仏(山口市宮野桜畠)

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宮野桜畠の山道の土手で、子供を抱き、その子がまた子を抱く子安観音様を見る。萩福栄、むつみの地では多く見ることができるが、徳地、阿東では住宅の裏山に鎮め堂(箱型石堂)があり、時代の流れの中で“しずめ”が“すずめ”に変化したという。大内時代はキリスト教が布教されるが、江戸の毛利時代になり、キリシタン御禁制の為だと思う。
苔むす石仏像に、野辺の信仰は生きているとの思いの撮影である。
(ニコンD200 300ミリ F7.1 1/30秒)
2018年04月27日
八丁峠(山口市宮野上)

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大和作太郎(大和保男の祖父)が萩から、下竪小路で萬代彦七が創業した山口焼の職長として招聘される。一家挙げての山口引越では、当時8歳の長男正一、6歳の次男春信の2人の兄弟が交替で5男の吉孝を背負い、峻険な八丁峠を越えたと語り継がれる。5月3日から6日まで菜香亭で山口焼を見ることができる。
八丁峠が分かる人も少なくなったと思うが、荒谷ダムの横を下る道からの撮影である。
(ニコンD200 18ミリ F8 1/125秒)