2004年02月20日
ベールを脱いだ大内氏館西門

市文化財保護課は14日、大殿大路にある国の史跡・大内氏館跡で、西門の復元工事現場を初めて公開した。室町時代に繁栄した大内氏の居館の中で、西門は唯一立体復元が可能となった建造物。大内文化を解明する上でも重要なものとなるだけに、集まった市民は興味深そうに、その門構えに見入っていた。
大内氏館跡は、1978年度から24次にわたる発掘調査が行われ、数多くの遺構が検出されている。
西門の柱跡は97、98年の調査で、館跡西側で確認された。遺構から得られる情報が多かったため、大内氏遺跡保存専門委員会が、館跡の中で唯一、立体復元が可能と判断。「目に見えるものを正確に作り、市民に情報発信をしていく」ことで合意した。2年間かけて学術的な検討を重ねながら設計図を作成し、文化庁復元検討委員会の了承を得て、工事にとりかかった。
見つかった跡から、門は柱間距離が1・8メートルと小さく、浅い掘立柱2本一組からなっていること、柱根元がくさび形の石で挟まれ、屋根には植物性のものを使用していたこと、床面は砂利敷の基壇を持ち、1500年代中頃の外邸と内邸をつなぐ「内門」であったことなどが推測される。当時の京都の風景が描かれた「洛中洛外図屏風」などに出てくる意匠を参考に外観を推定した。
工事中の西門は、屋根までの高さが約2・7メートル、横幅約8メートル、二枚扉の開口部分は高さ約1・7メートル、幅約1・2メートル。県内産のヒノキと、屋根には米ヒバを使用している。
見学会には門を一目見ようと、約160人の市民がつめかけ、熱心にメモをとるなどして説明を聞いていた。西門の近くに住んでいる参加者は「館跡は地味な印象であまり関心がなかったが、西門を見ていると、当時生きていた人たちの様子が想像できて面白かった」と話していた。
同課の増野晋次さんは「木造物は材料さえ残っていないだけに、復元が難しく議論もある。しかし、大内氏の姿を目に見える形で市民に知ってもらうためには、復元が最良と考えた」と説明する。
6年後、館跡を史跡公園に
復元工事は、市が進める「大内文化まちづくり」の重点プロジェクトの一つで、大内氏館跡を2010年までに「史跡公園」にする事業の一環。瑠璃光寺五重塔、八坂神社、龍福寺など大内氏関連の文化財が点在する「大内文化特定地域」の中心に位置するため、菜香亭の移築・保存と合わせて、歴史を語り継ぐ街の拠点にしていく方針だ。
復元整備の対象となるのは、堀・土塁・池泉庭園・枯山水庭園・土橋など、主に館の最盛期にあたる時代の遺構。復元の難しいものや異なる時期の遺構は表示整備を行い、館の周辺にはガイダンス・便益施設を建設する。
戦国大名大内氏は、強大な軍事力を持つ一方で、京風文化や唐物に強い関心を抱き、対外貿易の富を背景として独自の「大内文化」を築いた。整備事業では、史跡としての本来的価値が減らないように、遺構保護を最優先に位置づけた上で、大内氏の特質を表現することを目指している。
同課の兼重知己主幹は、「25年間掘り続けて、やっと市民に見てもらえる形が出来つつある。今まで、地元の大切な財産でありながら、あまり知られていなかった。正確に復元して、観光客だけでなく、まずは市民にその価値を理解してもらいたい」と熱を込めて語った。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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