2004年05月01日
3日、高倉荒神社上棟祭
02年2月の火災で焼失した高倉荒神社・恒冨八幡宮(戸谷雅夫宮司)の上棟祭が、3日(祝)午後1時半から行われる。3年以内の再建を目指して始まった募金活動も順調に進み、12月上旬には竣工する見通しとなった。再建委員会(徳光輝男会長)では、同日午後4時から平川中学校グラウンドでもちまきを実施して上棟を祝うことにしている。
恒冨八幡宮は、延宝8(1680)年に吉田の平清水八幡宮の分霊を勧請して創建。一方、高倉荒神社は、五穀豊穣の神として知られる。高倉荒神社縁起によると、推古天皇5(596)年春、大内氏の始祖と伝えられる琳聖太子が百済から渡来した際、佐波郡多々良浜に着くと同郡高倉村(現・防府市)に一社を建立し高倉荒神社として崇めたという。その後遷座を重ね、大正3(1914)年現在の地に移築されて、国家安泰・五穀豊穣を祈念している。毎年2月の春季大祭に先立って行われる御例(おためし)神事は、現在でも農業に携わる人たちのよりどころになっており、大祭には県下から多くの参拝者が訪れる。
焼失以来、恒冨八幡宮の氏子や高倉荒神社の奉賛会のメンバーらによる再建委員会が募金活動などを積極的に展開。東は徳山から西は小野田までの広範囲から約4千人が浄財を寄せた。その甲斐あって、再建工事は順調に進み、この度の上棟祭を迎えることに。竣工は12月上旬の予定で、来年の荒神祭は真新しい社殿で実施できる見通しとなった。
新しい社殿は、八幡造りの焼失前とほぼ同じ姿。中央に八幡宮、西側に荒神社が並ぶ。東側にあった人丸神社は八幡宮に合祀、代わりに社務所を新築する。これは、八幡宮と荒神社の間にあった前の社務所が、火の回りを早める一因になった反省から決まったもの。徳光会長は「社務所を設けない選択肢もあったが、参拝者が多いので社務所は必須。防災面を考え、この位置に建てることにした」と話し、20トンの水を貯められる防火水槽や防犯設備なども設置予定。森の間伐を定期的に行うなど、防災には細心の注意を払うことにしている。
再建現場での神事に続き、午後4時からは平川中学校のグラウンドでもちまきを開催。約10俵(600キロ)分の紅白もちをまいて上棟を祝う。もちつきや袋詰めは、地元7集落がそれぞれ分担。「再建に向けた活動の中で、地域内の結びつきが強くなった。この結束を将来につなげる上棟祭にしたい」と徳光会長。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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