2004年06月23日
みがえった菜香亭を紹介
今年3月、天花の県野田公舎跡に元料亭「菜香亭」が移築された。「アートふる山口」に合わせて10月2日にオープンする予定で、現在はその利活用法が検討されている。一般公開まであと3カ月余り。最盛期頃の建物をほぼ忠実に再現したとされる菜香亭は、どのように生まれ変わったのか。まだ知られていない建物内部を紹介する。
宴会や披露宴の会場としても使われ、多くの市民に親しまれた大広間。床の間から48畳、48畳、28畳と三つの広間で構成される巨大空間は、現在の建築基準法に合うよう、一部に鉄骨の柱が入れられたものの、かつての姿を取り戻した。以前と変わった主な点は、天井を一部ガラス張りにして建築構造を見せていること。大空間を支える特殊な手法「和小屋組」は、一つひとつの広間によって微妙に違いがあり、時代とともに随時増築されていった様子を物語っている。広間にかかっていた井上馨や伊藤博文らの扁額は、元通りに飾られる予定。エアコンも完備された。
再現された県内初の洋食店(2階)
今では知る人の少ない、3代目斉藤幸兵衛が県内で初めて開業した西洋料理店の部屋も、史実や調査に基づいて再現。新たに階段をつけて簡単に入室できるようにした。軒裏に施されていた「蛇腹」と呼ばれるしっくいなど、細かな仕事まで忠実によみがえっている。
黒光りする廊下や階段には、旧菜香亭の部材をそのまま使用。昔と変わらぬ姿を留めている。通路は幅を拡張、坪庭を設けて明るくなったが、まるで迷路のような造りは健在だ。
佐藤栄作がよく利用した客間
佐藤栄作が好んで使っていた客間。欄間や障子戸などの建具はそのまま使用している。眺めの良いこの部屋からは、立派な中庭もよく見える。大きな岩や灯籠(とう ろう)、池のほか、モミジをはじめ様々な木々が植えられており、とても美しい。
百余年もの間、大勢の、様々な人生の一幕が繰り広げられた菜香亭。再オープンした暁には、所々に昔の面影を見つけながら、歴代の総理大臣たちが過ごした空間を体感できるだろう。
菜香亭は1877年、毛利藩の料理担当者だった斉藤幸兵衛が上竪小路に開業。命名した井上馨や、山縣有朋ら郷土出身の政治家に親しまれ、政治の舞台裏として歴史を刻んだ。96年に営業を終え、扁額や掛け軸、調度品など約1万点にもおよぶ所蔵品は5代目主人の斉藤清子さんが市へ寄贈、寄託。現在は市歴史民俗資料館に保管されている。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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