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2005年02月16日

市内小・中学校 校歌めぐり

 卒業式まであとひと月余り。在校中何度も斉唱し、親しんだ校歌とも別れを告げる。地域の情景や校訓が織り込まれた、学校の象徴ともいえる校歌。そこで、市内29の公立小中学校をめぐり、校歌にまつわるエピソードを探った。
戦前生まれの校歌も

 今ある校歌のほとんどは戦後に作られているが、良城、興進、大内、仁保小学校の校歌は、戦前から今日まで約70年もの間歌い継がれてきた歴史あるものだ。
 校歌が生まれたのは1935(昭和10)年ごろ。全国的に校歌を作る動きがあり、この時市内でも多くの小学校が校歌を作成。しかし、1945(昭和20)年の終戦の後、軍国主義色を含んでいた校歌は姿を消し、ほとんどの学校が校歌を失った。前記の4小学校を除く各小中学校の現行の校歌は、1955(昭和30)年前後から次々と作られたものだ。したがって、同じ小学校でも、祖父母が子ども時代に口ずさんだ校歌と、今の児童が歌っている校歌とは違うケースもある。
 なお、現在の良城小の校歌は1番と4番しか校内に掲げられていないし、歌われてもいない。戦後に2番、3番は封印されたのだ。また、興進小の校歌も一部内容が変更されているようだ。

詞・曲の全国公募

 校歌には公募によって作られたものもある。湯田中と湯田小は1958(昭和33)年、歌詞と曲を一般公募して校歌を決定した。湯田小百年史によると、中学には全国から98編の詞が寄せられ、藤晃太郎さん(広島市)の作品が審査によって選ばれた。曲は応募が少なかったのか、東京芸術大に依頼している。小学校は、詞95点、曲45点の応募の中から決められたという。
 宮野中も、1959(昭和34)年に校歌を一般公募。39点が寄せられたが採用に至らず、改めて作詞を和田健氏、作曲を森豊幸氏に頼んで出来上がった。

山口は「椹野川」「鳳翩山」

 市内29の小中学校の校歌を見ていくと、あるキーワードの存在に気付く。山口市を表すのに欠かせない言葉「椹野川」と「鳳翩山」だ。「椹野の流れ」や「ほうべん」など多少表現は異なるものの、「椹野川」が12校、「鳳翩山」が6校の歌詞に登場する。このことからも、二つが市民の生活に密着したもので、山口市のシンボル的存在であることがうかがえる。またどの校歌にも、その土地を象徴する山や歴史、風土や情景が必ず織り込まれている。

作詞・作曲者は…

 大殿中校歌の作詞者は、戦後の小学校の教科書で全国に親しまれた童話「ふんどう屋のエントツ」で有名な阿東町出身の文学者・氏原大作。鋳銭司小は郷土史家の内田伸さんが作詞を担当した。1954(昭和29)年にできた大歳小校歌は、当時同校6年生だった田中恵子さんの作詞。校長は作詞を児童の手にゆだね、田中さんの詞にクラスメートの意見を取り入れて完成させたそうだ。
 全小中学校の中から共通の作詞・作曲者を探したところ、市内在住の詩人・和田健さんが5校、故・白上貞利さんが6校の作詞、故・弘中策さんが6校、故・森豊幸さんが5校の作曲を手がけている。


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)ニュース
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