2005年03月05日
スマトラ沖地震 被災地はいま

2月中旬、昨年12月26日に発生したスマトラ沖地震・インド洋津波で大きな被害を受けたスリランカに県立大国際文化学部教員のJ・A・T・D・にしゃんたさん(35)が、また、タイに同学部4年・青木純子さん(23)と同・上村恵実さん(21)が渡航し、託された義援金を届けた。災害から約1カ月半、緊急支援も一段落したといわれる現地の様子はどうだったのか。3人が見た、被災地の様子を聞いた。
故郷スリランカへ
5万人以上もの死者・行方不明者を出し、約100万人が家屋を失った、にしゃんたさんの故郷・スリランカ。彼は、学生有志らが集めた約9万円の義援金を届けるため、2月7日に出発。8日から帰国前日の13日にかけて被害の大きかった南部を目指し、海岸沿い1800㌔を南下した。
港に面した貿易の町、首都コロンボには被害がなく、普段と変わらぬ表情だった。車で南下を始めると、15分もたたないうちに被害の爪跡が見えてきた。海岸の側に建ち並んでいるはずの民家は跡形もない。津波に襲われた日は日曜日だった上、満月の日「ポーヤ・デー」(仏教徒が心静かに修行して過ごす日)でもあり、自宅にいた多くの人が犠牲となった。カルタラの有名な仏教寺院の最高責任者は「ここが津波の入り口。南側に本当の被害が見える」と言った。確かに、駅やホテルなどの建物も全半壊、救援物資の引き渡し場には長い行列が続く。
コッガラは漁業の町。魚売りに声をかけると「陸に上がった舟を海に戻すには大金がかかる。まだ行方不明者も多く、風評被害で魚はさっぱり売れない。行政の援助はなく、先が見えない」と訴えた。観光の町ゴールや周辺地域も、レストランやホテルが倒壊し、壊滅的だった。それでもスリランカの人々は、明るく、前向き。津波の襲来で乗客約千人が死亡した列車は間もなく博物館にされる。観光客を呼び込みたいのだ。
義援金は権力者が入手し、一番支援を必要とする人には行き届いていないのが現状だ。そして、被災者たちが本当に求めている支援はお金ではない。舟の修理や家屋の再建などに一緒に汗を流してくれること。だが、現地で日本人に出会うことはなく、多額の資金援助を行ったにもかかわらず、被災地に“日本”は見えてこなかった。
学生2人はタイ・プーケット
卒業旅行としてタイを訪れるはずだった青木さんと上村さんは、市民活動支援センター・さぽらんてで市民グループが行ったチャリティーカフェの収益金と学内募金5万5千円をバンコクのボランティア団体に手渡すことを決め、2月12日に日本を発った。
リゾート地として知られるプーケット島でも一番の観光地パトンビーチでは、海から30㍍ほど離れた1本の通りが明暗を分けた。海側の建物は壊滅しているのに、通りを隔て陸側に軒を連ねる店舗は無事。翌日向かったパンガー県の海岸リゾート・カオラックでは、海に面した環境が売りだったため、連立していたホテルがすっかり流されていた。しかし観光地への政府援助は迅速だったという。
同県パーム湾にはNGOのキャンプが張られていた。仮設住宅に300世帯、テントで入居を待つ家族千世帯。スタッフは「明るさの裏に深い心の傷と大きな生活不安を抱えており、とにかく今は精神面のケアが必要」と話した。また、キャンプにいる被災者の大半はバンナム県の人。更地化した故郷では政府がすでにリゾート開発を進めており、土地の所有権を持たずに暮らしてきた彼らは帰る地までもなくそうとしていた。
遺体安置所のすぐ横で、政府が海外メディアを使って観光PRを行っていた。再建に向けた問題は山積みだ。
なお、彼女たちはあす6日午前11時から、さぽらんて(TEL901-1166)で報告会を開く。参加無料。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│ニュース