2005年06月10日
中越地震の小千谷市で 長州兵士の墓、復旧へ

「西軍の墓がなぎ倒されているのを見た時、気の毒で涙が出た。たとえ敵方であっても小千谷の大切な宝。歴史をここで途絶えさせるわけにはいかない」--。昨年10月、新潟県中越地震で被災した小千谷市の市民有志が、北越戊辰戦争で戦死した長州藩兵士の墓地復旧に力を入れている。これまで全国から約1千万円もの義援金が集まったが、墓石修復に必要な5千万円にはまだまだ届かない。有志らは「遠く異郷の地で命を落とした先祖に思いをはせてもらえれば」と西軍兵士の故郷、ここ山口県にも募金を呼びかけている。
今から約140年前、北越戊辰戦争最大の激戦地となった小千谷市。戦争当時は、会津藩の管理地だった同市の船岡公園一角にある「戊辰戦争西軍殉難者墓地」には、戦死した長州兵73人や薩摩兵93人らが眠っている。しかし、昨年10月最大震度7を記録した中越地震で、地元の人の手できれいに整備されてきた西軍墓地は見るも無残な姿に。この場所は、テレビなどで大々的に報道された皆川優太ちゃんの救出劇の現場となった付近。200基近い墓のほとんどが倒伏し、長州奇兵隊指揮官・時山直八(享年31)の墓も根元からなぎ倒された。またこの時、長岡藩総督・河井継之助と西軍軍監・岩村精一郎の談判の場として有名な「慈眼寺」も損壊した。
地震後、行政はライフラインの復旧や市民の生活支援におわれ、文化財は後回しに。特に墓は、宗教施設とみなされ補助も見込めなかった。
地震から1カ月後、同市公民館長の廣井一さん(65)やおぢや観光ボランティアガイドの野澤金一郎さん(79)らは、これらの史跡を修復するため「小千谷北越戊辰史跡復興支援の会」を結成。県内外に義援金を呼びかける趣意書を送ったほか、ホームページ(http://www.shinanogawa-ta.ac.jp/ojiya-fukkou)を開設。全国各地に広く支援を呼びかけてきた。しかし、被災から1年となる10月23日までの復旧を目指しているものの、目標の5千万円にはまだ足りない。
地震で自宅が倒壊し、今も仮住まいの廣井さんは「ここに長州藩兵士の墓があることを知らない山口県人も多いのでは。残念ながら行政はあてにならないので、民間で立ち上がっていくしかない。小さな力が集まれば、きっと大きな力になる」と支援を訴える。また、会長の野澤さんは「戦争当時2歳だった祖父を、遠征してきた西軍兵士がかわいがってくれたという。長州藩は残虐なこともしたが、彼らがいなければ日本の夜明けはなかった。先人が大切に残してきたものを今わたしたちが守らねば」と、史跡復活にかける熱い思いを語る。
同会は現在、墓に土を入れたり、地固めをするといった専門的な墓石修復以外の作業を手伝ってくれるボランティアを募集中。「作業の日程が決まれば、1カ月前までにはホームページに掲載する。ぜひ山口県からも手伝いに来てほしい」と呼びかけている。
2年前に現地を訪れた下関市在住の直木賞作家・古川薫さんは「敵、味方関係なく墓を守ってくれている小千谷の人々には頭が下がる。長州人として、本当にありがたいこと」と話している。
なお、同会はいつか山口県に出向いて“生の声”を伝えたいと考えており、協力者を募っている。問い合わせ先は、小千谷商工会議所内同会事務局(TEL0258-81-1300、FAX0258-83-3632)。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│ニュース