2005年09月28日
倒壊した長州兵士の墓復元

中越地震の小千谷市が友情の義援金に感謝 報告に、きょう山口市訪問
新潟県中越地震で倒壊した長州兵士の墓が、地元有志の力で今月中にほぼ復元される。地震発生からもうすぐ1年。支援会を立ち上げ義援金集めを行ってきた新潟県小千谷市の野澤金一郎さん(79)は「本当に良かった。これも多くの人の協力があったから」と、ほっと胸をなで下ろす。野澤さんら有志はきょう28日、義援金のお礼と復興状況を伝えるため、西軍兵士の故郷・山口を訪問。「これを機に長州との交流が深まり、今後新しい関係が築ければ」と期待している。
今から約140年前、北越戊辰戦争最大の激戦地となった小千谷市。戦争当時、会津藩管理地だった同市の船岡公園一角にある「戊辰戦争西軍殉難者墓地」には、戦死した長州兵73人や薩摩兵93人らが眠っている。ところが昨年10月、最大震度7を記録した中越地震で墓の90%が倒壊。行政は、ライフラインの復旧や市民の生活支援が整った後、公共施設や文化財の修復に取りかかったが、倒壊した墓は宗教施設とみなされたため何の補償もなかった。
地震から1カ月後、野澤さんや同市公民館長の廣井一さん(66)らは「先人が大切に残してきたものをこのままにしておくわけにはいかない」と、「小千谷北越戊辰史跡復興支援の会」を結成。被災から1年後の今年10月23日までに復旧しようと、山口県や鹿児島県をはじめ、全国各地に広く支援を呼びかけてきた。
その結果、これまでに約1200万円もの義援金が集まり、今月5日、ついに復旧工事に着手することができた。被害が軽度だった薩摩藩の墓は既に完了。現在、入り口付近に並ぶ長州兵士の墓を建て直している。工事が終わる今週末には、市民ボランティアを募って墓磨きや草取りを行う予定だ。さらに、“日本の夜明けのために戦った若き兵士たち”と、“大震災から復興し新たなまちづくりを始める小千谷市”をイメージしたモニュメントをこの場所に建て、10月16日に行う復興記念の除幕式で披露する。観光ボランティアガイドも務める同会会長の野澤さんは、墓地が地震前の姿によみがえっていく様子を見て「実は、以前からこけで汚れた墓をいつかきれいにしたいと思っていた。皆さんの協力のおかげで、長年の夢がかなった」とうれしそうに話す。また、廣井さんは「山口県からは義援金だけでなく、励ましの電話や手紙を数多くいただくなど、この1年間で両県の関係が深まった気がした。たとえ長州が敵方であっても、墓は小千谷の宝。これを機に、今後さらに市民レベルの交流が広がっていけばうれしい」と期待を込める。
入場無料
11時から、山口商工会議所で
市民交えて報告会
なお、きょう28日、2人は山口市を訪問。合志栄一市長と面会した後、午前11時から山口商工会議所で報告会(入場無料)を実施。「山口の人に直接会って、小千谷の復興の様子などを伝えたい。興味のある人はぜひ聞きに来てほしい」と2人は呼びかけている。その後は、萩市、下関市、鹿児島市を訪れる予定。
詳細は、小千谷商工会議所内同会事務局(TEL0258-81-1300、http://www.shinanogawa-ta.ac.jp/ojiya-fukkou)へ。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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