2008年01月13日
南国高知で誕生!そして全国へ 山口に根づいたよさこい

「まさか、ここまで広がるなんて最初は想像もしていなかった」――。こう話すのは、9年前、山口県によさこいを持ってきたメンバーの一人、現山口商工会議所青年部会長の木村秀明さん(42)だ。今では夏の山口七夕ちょうちんまつりをはじめ、年間を通して県内各地の祭りやイベント、さらに小学校の運動会などでも踊られているよさこい。その人気の秘密と山口県における歴史を探った。
「よさこい」は1954年、経済復興・地域おこしを目的に南国高知で誕生。その踊りを現代風に変え、グループごとに独創性を競う祭りが全国各地に瞬く間に広がった。火付け役である「YOSAKOIソーラン祭り」は札幌の大学生の発案。高知で見た踊りの躍動感に刺激され仲間と企画、今では日本を代表する祭りへと成長した。この成功は全国に伝わり、各地でチームが次々と誕生。同時によさこい祭りも年間を通して各地で開かれるようになった。
山口市に入ってきたのは99年。この年の1月、山口商工会議所青年部の木村さんや河上隆司さんら6人が、高知で開かれた「よさこい全国サミット」に参加したのがきっかけだ。木村さんはこの場で、全国各地から集まった“よさこい人”の情熱に押され、「山口でもやります」と宣言。「言ったからにはやるしかない」と4月、湯田温泉白狐祭りに高知のチームを呼び、山口市で初めて本場の踊りを披露してもらった。
そして7月、オリジナル曲とラジカセを片手に、6人で山口大学七夕祭に参加し、初めて人前で踊りを披露。しかしこの時誰一人として足を止めることはなく、木村さんは「あの時のむなしさは今でも覚えている」と振り返る。その後、リベンジを果たそうと参加した山口祇園祭りも雨で中止に。あまりの悔しさから、26日に中心商店街で“ゲリラよさこい”を敢行。すると、みるみるうちに人だかりができ、メンバーは初めて踊ることの楽しさを肌で感じた。
その後、グループ名を青年部の「青」をとって「長州青組」と命名。人数も徐々に増え、00年には、県外からもチームを呼び、ちょうちんまつりで「よさこい」を実施。祭りはこれまでにないにぎわいを見せたという。
きっかけはきらら博 県内に踊り子約2千人
01年、木村さんらは県商工会議所青年部連合会の事業として、夏に開かれる「山口きらら博」で、よさこいの全国大会を開催することを決定。よさこい風にアレンジした山口の民謡曲「男なら」で、県連チームとしても出場することにし、萩や宇部など各地に足を運んで練習を積み重ねた。そして迎えた大会当日、高知をはじめ、北海道や長崎、兵庫など全国各地から20チーム以上が参加し鳴子を手に躍動感あふれる踊りを披露。大会は大成功に終わり、メンバーは涙を流して抱き合ったという。
これを機に、青年部のメンバーが各地でチームを立ち上げ、県内に“よさこいブーム”がわき起こった。今では県内だけでも約50チーム2千人の踊り子がいるという。
その人気の秘密は“自由さ”だ。年齢も性別も関係ない、振りも衣装も全て自由。皆で踊りを練り、音楽を選び、本番を目指して練習する“一体感”がある。今、山口県の新しい文化になりつつある?よさこい?。木村さんは「ここまで根づいたものは大切にしながら、今後は、さらに山口らしさを出せるオリジナリティーあるものに変えていきたい」と言う。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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