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2012年06月20日

氷上橋で親柱見つかる 年代特定へ情報募る

氷上橋で親柱見つかる 年代特定へ情報募る

 江戸時代に参勤交代の道として整備された萩往還。当時の道なりが残る大内地区に氷上橋がある。仁保川をまたぐこの橋は、同時代には木製だったが、明治時代に石製の橋になり、16(大5)年に架け替えを実施。今のコンクリート製の橋(長さ73メートル、幅6メートル)は、48(昭23)年にできた。
 この氷上橋に並行する形で現在、歩行者専用橋の建設工事が進められている。そのさなかの今年1月、大内矢田に住む団体職員の松前了嗣さん(44)が散歩途中に氷上橋を渡っていると、右岸側の河川敷に長細い特徴的な石が転がっているのが見えた。四角い柱のような石には平仮名で「ひかみばし」と書かれていた。その後、石の柱がもう一本見つかり、こちらには漢字で橋の名前が刻まれていた。これらは、橋の両側に設けられる親柱と呼ばれるもの。御影石製で長さ2・1メートル、一辺30センチの四角柱だ。掘り出した工事関係者は、これが親柱などとは気付かず、撤去方法に苦慮。その場で分割して運び出すことさえ考えられていたという。
 一般的に親柱には橋の名前のほかに、川の名称や完成の日も記されているものもあるが、これらは見つかっていない。今回発見されたものは、いつの時代のものなのか。橋の歴史を考えると、明治時代から現在の橋が架けられる前の48(昭23)年までと推測されるが、明治時代に架けられた橋のものなのか、それとも大正時代のものなのか、特定には至っていない。
 そこで、大内地域交流センター(TEL083-927-0473)は、地元住民に昔の氷上橋の様子をとらえた写真の募集を始めたが、これまでに有力な情報は寄せられていない。地域に長く住む住民にも聞き取りを実施してみたが、記憶にある人がいないという。同センターでは引き続き広く市民から情報を募っている。
 親柱などは、同センターで一時保管されている。今後、活用法について地域住民を交えて話し合いが持たれる予定。松前さんは「氷上橋の近くで、多くの人が見られる記念碑のような形で保存されれば」と期待を寄せている。


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)ニュース
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