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2012年09月29日

西田幾多郎の下宿解体へ 「この住宅を通じて、往時の山口に思いを」

西田幾多郎の下宿解体へ 「この住宅を通じて、往時の山口に思いを」

 日本を代表する哲学者、西田幾多郎。彼は、1897(明30)年9月から1899(明32)年7月までを、ここ山口で暮らした。旧旧山口高(のち山口高商~山口大経済学部)で教壇に立っていた27歳から29歳までのことで、米屋町、相良小路を経て下竪小路に落ち着いた。その住まいは現存しているのだが、残念ながらこのほど、取り壊されることが決まった。
 下竪小路45番地にあるこの住宅は、幕末~明治中期に岡部千代吉さんが建てたもので、当時の姿を今に留めている。解体されるのは、西田以外にも多くの「先生」が暮らした「後ろ」(東側)の部分で、階段や2階部分は、とりわけ当時のたたずまいをよく伝えている。今回の決定は、借家として維持を続けることが困難だと、持ち主の岡部忠男さんが苦渋の決断を下したものだ。西田が暮らした住居で現存するのは、ほかには京都と鎌倉にしかないという。
 具体的な解体日程はまだ決まっておらず、しばらくは関係機関による調査・撮影などがされる。25日には、西田幾多郎記念哲学館の山名田沙智子学芸員が、石川県から来山し調査した。山名田さんは「妻子と別れ、職も失った傷心の西田が1人で赴任してきた山口は、大勢の人たちと積極的に交わり、禅やキリスト教にも出会った土地。山口での時間がなければ、西田の人生は変わっていたかもしれない」と話す。
 同家次男で、今は東京に住む岡部昌平さんは「彼が暮らしていた当時、後河原・竪小路界隈は学生の街で、自由な気風にあふれていた。学生と教授が同じような店に出入りし、同じようなものを食べ、同じところを散歩する。とりわけ旧市内の人たちは、大学という権威ではなく、学生たちと先生たちの暮らしがそこにあることをよろこび、誇りに感じていた。また、後に国木田独歩、中原中也、種田山頭火らも輩出する山口は、およそ権力とは無縁の文人たちを日常のひととして愛する気風があって、西田を喜ばせたのだと思う。この住宅を通じて、そのことをもう一度思い出してもらえたら」と話している。
 調査・見学等の問い合わせは、同氏(TEL090-1125-2571、okabes@highway.ne.jp)へ。


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)ニュース
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