2016年07月02日
日大「桜門会山口」が建立 山田顕義の顕彰碑、瓦屋跡に

▲二つの碑が並ぶ瓦屋跡
実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)
日本大学校友会県支部「桜門会山口」(大隅博志会長)は、同大の学祖・山田顕義の顕彰碑「山田顕義と瓦屋」を、松田屋ホテル(山口市湯田温泉3)が新設した駐車場の一角に建てた。同大創立130周年記念事業の一環。
わが国の軍事と法律を近代化させ、「小ナポレオン」とも称された山田顕義(1844-92)は、萩に生まれ松下村塾で学んだ。軍学を大村益次郎に教わり、戊辰戦争で指揮を執るなど、幕末日本の戦乱終結に貢献。1871(明治4)年には、岩倉使節団に参加して欧米諸国を訪問し、近代的法治国家の重要性を痛感した。その後、1883(明治16)年に日本初の法務大臣となり、近代法の設立に尽力。また、教育の重要性を認識していた彼は、大日本帝国憲法が公布された1889(明治22)年10月に、日本法律学校(現日大)を設立。さらに翌年には、國學院(現國學院大)も創設した。
山田家は、藩庁の山口移転(1863年)に伴い、萩から白石(米山荘のあった地)に転居した。また顕義は、幕末から明治初期にかけて多くの維新の志士たちが集まった宿「瓦屋」の主人・鹿嶋喜右衛門の長女で、井上馨の養女だった龍子を妻にした。
松田屋ホテルの隣にあった瓦屋の建物は、1984(昭和59)年に中国電力の保養所「湯田荘」が同地に建設されるのに合わせて取り壊された。その際、中電の山根寛作会長(当時)の揮毫により「史跡 瓦屋跡」「勤王の志士会合の場」と記された御影石製の碑も建立。それから約30年。同地を所有する松田屋ホテルが駐車場(25台分)を整備するのにあたり、大隅会長が松田康義社長に顕彰碑の設置をさせてもらうよう依頼。松田社長も快諾した。
碑には、瓦屋を維新の志士たちが利用したことや、日大を創立するなどした山田顕義の功績、瓦屋との縁などが記されており、保存された碑「史跡 瓦屋跡」の隣に建つ。除幕式は、日大の小関勇副学長や瓦屋の子孫である鹿嶋あい子さんらも参列し、9日(土)午後3時45分から同地で開催される。
大隅会長は「日大を創立するなどした顕義の功績は多大。市民にもっと知ってほしい。また、成瀬仁蔵(日本女子大創立)と山尾庸三(東工大創立)も山口出身。『近代日本の教育は山口から』と胸を張りたい」と話している。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│ニュース