2006年11月11日
10年たって
私は10年前、49歳の時「あなたは老後、誰と、どこで暮らしますか」という原稿募集があり、投稿したら本に掲載された。こう書いている。 “グループで好きな詩を書きつつ助け合いたい”
痴呆になったり、身体が弱ったりして自分の自由にならなくなった時は、行政の指示や子ども達のなすがままにするしかないと思っている。どこで誰と暮らすかは夢となる。元気でしっかりしている間の老後は、趣味の仲間とスープの冷めない距離で生活していきたい。今、私は「詩」のグループに入って詩らしきものを書いている。一人でも生きていける仲間達と、歩いて10分の円の中に住みたい。元気な人が手助けのいる人を助けながら時々は合宿もして情報交換しながら詩を書き続けていきたい。自分が自分であるうちはそうして生きていきたい。
あれから10年。私は59歳になったが現状はどうか。10年の間に、一緒に暮らしたいと思っていた詩友の数人が亡くなってしまった。元気な仲間も女性は夫の介護や家族の世話が重くのしかかっていて、希望した仲間とスープの冷めない距離に集って生活することはできない状態だ。“老後”は素早いスピードでやってきた。10年前の夢は叶わなかった。
今はその詩友達と月一回会い、詩の話をしたり(これはほんのつけたし)、お茶を飲んだり、時には旅行したりしている。この平穏が少しでも長く続くことを望んでいる。老後の夢も現実的になってきた。さて、次の10年後はどうなっているかしら?
痴呆になったり、身体が弱ったりして自分の自由にならなくなった時は、行政の指示や子ども達のなすがままにするしかないと思っている。どこで誰と暮らすかは夢となる。元気でしっかりしている間の老後は、趣味の仲間とスープの冷めない距離で生活していきたい。今、私は「詩」のグループに入って詩らしきものを書いている。一人でも生きていける仲間達と、歩いて10分の円の中に住みたい。元気な人が手助けのいる人を助けながら時々は合宿もして情報交換しながら詩を書き続けていきたい。自分が自分であるうちはそうして生きていきたい。
あれから10年。私は59歳になったが現状はどうか。10年の間に、一緒に暮らしたいと思っていた詩友の数人が亡くなってしまった。元気な仲間も女性は夫の介護や家族の世話が重くのしかかっていて、希望した仲間とスープの冷めない距離に集って生活することはできない状態だ。“老後”は素早いスピードでやってきた。10年前の夢は叶わなかった。
今はその詩友達と月一回会い、詩の話をしたり(これはほんのつけたし)、お茶を飲んだり、時には旅行したりしている。この平穏が少しでも長く続くことを望んでいる。老後の夢も現実的になってきた。さて、次の10年後はどうなっているかしら?
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│おんなの目