2008年06月13日
稜線
8月末で、153年の歴史に幕を下ろすちまきや。先日、その業者会ともいえる「ちまきや共栄会」の25回目となる定期総会に出席したが、寂しいことにその解散が決議された。
66(昭和41)年下関生まれのわたしにとって、幼少のころの思い出は、まだシーモールができる前の下関大丸とともにある。山口に住み始めたのは幼稚園の途中からなので、ちまきやとの付き合いは小学生以降。そして83(昭和58)年から98(平成10)年までの、本館と別館との造りだった時の印象が特に強い。別館の中2階にあったゲームセンターでは、友人たちと当時はやった「ゼビウス」などをよくプレーしたし、1階の文栄堂やOK無線でのショッピング、どんどんやロッテリアでの飲食も思い出深い。
1855(安政2)年に八木家第30代・八木宗兵衛宗康と31代・宗十郎賀茂親子によって創業された歴史あるお店。読者の方々にとっても、100人いれば100通りの“ちまきやとの思い出”があるのだろう。2階催事場で閉店まで開催されている「ちまきや懐かしの写真展」を見れば、何かしら感じるものがあるのではないだろうか。
閉店まで残すところ2カ月半。本当に最後となる“ちまきやとの思い出”を、今一度つくっておきたい。 (K)
66(昭和41)年下関生まれのわたしにとって、幼少のころの思い出は、まだシーモールができる前の下関大丸とともにある。山口に住み始めたのは幼稚園の途中からなので、ちまきやとの付き合いは小学生以降。そして83(昭和58)年から98(平成10)年までの、本館と別館との造りだった時の印象が特に強い。別館の中2階にあったゲームセンターでは、友人たちと当時はやった「ゼビウス」などをよくプレーしたし、1階の文栄堂やOK無線でのショッピング、どんどんやロッテリアでの飲食も思い出深い。
1855(安政2)年に八木家第30代・八木宗兵衛宗康と31代・宗十郎賀茂親子によって創業された歴史あるお店。読者の方々にとっても、100人いれば100通りの“ちまきやとの思い出”があるのだろう。2階催事場で閉店まで開催されている「ちまきや懐かしの写真展」を見れば、何かしら感じるものがあるのではないだろうか。
閉店まで残すところ2カ月半。本当に最後となる“ちまきやとの思い出”を、今一度つくっておきたい。 (K)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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