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2009年06月26日

稜線

 山口市・阿東町合併推進協議会の進捗状況が先日の市報に載っていた。
 その中で新市への基本方針が5項目にわたって方向性が示されているが、そのひとつに、ひと、まち、歴史と自然が輝く交流と創造のまち山口があった。
 自然と歴史-十種ヶ峰や長門峡を包含する阿東の大自然の中で綴られた歴史をたどると、キリスト教徒受難の一時代が浮き彫りになってくる。
 1135ページに及ぶ大冊の阿東町誌に「隠れ切支丹」という項目で記述がある。
 大内氏の庇護により2000人にものぼった山口在住のキリスト教徒に対し大内氏に代わる毛利氏の切支丹弾圧政策はきびしく、1608(慶長10)年代には火刑(火焙り)などの極刑まで行う。
 このため教徒の一部は九州へ向かうが大半は木戸山峠を越え阿武郡へ逃亡する。山口の教会や信者の住居は毛利藩総奉行によって撤収された。
 われ先にと逃げてゆく教徒は生雲、紫福へと落ち、さらに奥地の徳佐、嘉年までも落ちのびる。現在阿東町内に居住しているが先祖は山口から移住したと伝えられてきた人々は多く、阿東町には今も十字墓が点在する。
 以上が阿東町誌からの抜粋で史実が焙り出されている。(F)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)稜線
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