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2011年04月22日

稜線

 山口市史によると、1373(文中2)年に当時の明(中国)から山口を訪れた遣日使・趙秩によって、当時の山口の風景を選び“山口十境の詩”が生まれた。
 大内文化まちづくりプロジェクト実行委員会では、2004年に「温泉春色」湯田の詩碑を建立して以来このたびの「泊瀬晴嵐」宮野江良に建立まで、大内氷上、古熊、御堀、東滝、天花、宮野下恋路の8基となり、あと鰐石と象頭山を十境詩に残すのみとなった。
 実行委員会では十境の詩碑建立は単なる歴史懐古ではないという。
 中国から明使が来山した650余年当時は北部九州、広島もまだ江戸期以前の海浜集落に過ぎなかった。趙秩来山当時の山口は京都以西の都邑地で西の京と呼ばれ、京都から学僧、文人の往来が多く、画僧雪舟は来山以後に中国渡航や雲谷庵での画歴が残り、その後はフランシスコ・サビエルが平戸経由で大内氏を訪ねたが当時日本ではじめてのクリスマスミサも持たれている。
 室町期以後は戦国時代となり、江戸時代に入ると徳川幕府による鎖国制度が行われ、山口は戦乱にもさらされ荒廃する。
 中国、朝鮮、琉球そしてポルトガル等の交流を持った雄都山口の存在を異国の詩人が詠んだ詩韻は生きている。(F)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)稜線
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