2012年03月23日
稜線
9日付本コラムで「多くの山口人は震災を実感できない」と書いた。翌10日、初めて被災地へと赴いた。
向かった先は宮城県石巻市。駅からは、とにかく海岸線を目指した。震災当時は駅も水没。ほど近い商店街もほぼ壊滅状態だったといい、その傷跡はいたるところに残っている。まっすぐ進むと上り坂になり、しばらく歩けば日和山公園に到着。すると眼下には、ほぼ何もない光景がただ広がっている。ショックを受けつつも前に進み、坂を下りきったところで左に顔を向けると、燃え尽きて廃虚となった市立門脇小の姿が目に飛び込んできた。
さらに、そこから海岸線までの平地をただ歩いていく。結局、駅から岸壁にたどり着くまで、実に40分以上かかった。そうして、報道を通じて理解したつもりだったことが、間違いだとわかった。これだけもの距離を津波が駆け上がるなど、直接歩いてみると、とても信じられないのだ。
岸壁には、子どもたちが05(平17)年10月に描いた「壁画大作戦」がそのまま残っていた。海と「仲良し」だったのに、描いた何人かが犠牲になったのかもしれないと思うと、とてもつらいし、やるせない。(K)
※現地の写真は「かいさくブログ」に掲載します。
向かった先は宮城県石巻市。駅からは、とにかく海岸線を目指した。震災当時は駅も水没。ほど近い商店街もほぼ壊滅状態だったといい、その傷跡はいたるところに残っている。まっすぐ進むと上り坂になり、しばらく歩けば日和山公園に到着。すると眼下には、ほぼ何もない光景がただ広がっている。ショックを受けつつも前に進み、坂を下りきったところで左に顔を向けると、燃え尽きて廃虚となった市立門脇小の姿が目に飛び込んできた。
さらに、そこから海岸線までの平地をただ歩いていく。結局、駅から岸壁にたどり着くまで、実に40分以上かかった。そうして、報道を通じて理解したつもりだったことが、間違いだとわかった。これだけもの距離を津波が駆け上がるなど、直接歩いてみると、とても信じられないのだ。
岸壁には、子どもたちが05(平17)年10月に描いた「壁画大作戦」がそのまま残っていた。海と「仲良し」だったのに、描いた何人かが犠牲になったのかもしれないと思うと、とてもつらいし、やるせない。(K)
※現地の写真は「かいさくブログ」に掲載します。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│稜線