2012年03月30日
稜線
地震に強いという説は本当か、国宝の五重塔11塔の歴史、工法、見所を詳細に案内した「五重塔入門」がこのほど新潮社から新しく出版された。
戦国武士の墓標として1442(嘉吉2)年に竣工した山口瑠璃光寺五重塔も周辺の自然景観と共に優美な姿で写真紹介されている。その解説は塔身高21・48メートル、初重柱間5・096メートル。屋根は桧皮葺の勾配がゆるやかで軒反が美しい。塔は全体として和様を主調とするが、禅宗系のデザインも細部にまで取り入れられている。解説はつづく。この塔には家紋が入っており、二重の板壁に唐花を中央にあしらった飾板の大内菱で、12世紀中葉から16世紀半ばにかけて西国一帯を支配した大内氏の紋所である。歴代の当主のうち、この塔の創建にかかわったのは大内義弘と盛見の兄弟、しかし竣工は教弘のときである。1616(元和2)年には滅亡した大内氏に替わる毛利氏が萩城下へ塔を移築しようとするが、山口在住民の熱望に応じて〈願之通リ可差置候事〉の裁下があり現在に至るの詳述もある。
他に法隆寺(奈良)醍醐寺(京都)羽黒山(山形)など国宝11塔の実態が紹介されている。
山口の自然に絡み地震・風雪に耐えて570年の建築美である。(F)
戦国武士の墓標として1442(嘉吉2)年に竣工した山口瑠璃光寺五重塔も周辺の自然景観と共に優美な姿で写真紹介されている。その解説は塔身高21・48メートル、初重柱間5・096メートル。屋根は桧皮葺の勾配がゆるやかで軒反が美しい。塔は全体として和様を主調とするが、禅宗系のデザインも細部にまで取り入れられている。解説はつづく。この塔には家紋が入っており、二重の板壁に唐花を中央にあしらった飾板の大内菱で、12世紀中葉から16世紀半ばにかけて西国一帯を支配した大内氏の紋所である。歴代の当主のうち、この塔の創建にかかわったのは大内義弘と盛見の兄弟、しかし竣工は教弘のときである。1616(元和2)年には滅亡した大内氏に替わる毛利氏が萩城下へ塔を移築しようとするが、山口在住民の熱望に応じて〈願之通リ可差置候事〉の裁下があり現在に至るの詳述もある。
他に法隆寺(奈良)醍醐寺(京都)羽黒山(山形)など国宝11塔の実態が紹介されている。
山口の自然に絡み地震・風雪に耐えて570年の建築美である。(F)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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