2018年09月05日
八月が過ぎて
実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)
六日、広島原爆の日、一九四五年八月六日、午前八時十五分、広島市に原爆が投下され一瞬にして十数万人の命が奪われた。九日、長崎原爆の日、午前十一時二分、長崎市に原爆が投下され、七万数千人の命が奪われた。十日、日本政府はポツダム宣言の受諾を決定。十五日終戦記念日。
記念日という表現に違和感があるが戦争の廃絶と世界平和を願い終戦記念日が制定された、と調べた資料にはあった。記念日には明るい事柄が多いが忘れない為の暗の記念日もある。
死の伝達人 大倉元
忠義兄が骨となり/故郷祖谷へ戻って七十年余/戦争はむごい/三百万人を超える命を奪った/兄もその中の一人//戦闘で負傷した体の痛みに耐えて/思うように動かせない体で/いつも思い出したのは故郷祖谷の山々/父や母 弟や妹/二歳足らずで別れた弟の僕のこと/いつか日本へ 祖谷へ戻れると/がんばっていた/と 僕は思う//死の伝達人が/白い布で包んだ箱を持って/急な坂を/上がって来た/昭和十九年八月十五日/忠義兄はビルマで死んだ/二十六歳//母やんは箱を抱きしめ泣いた/泣き声は祖谷の山々にこだました/忠義兄を知らない僕の涙も止まらない(後略)
八月が過ぎ九月になったけれど、慟哭の声はまだ熱く聞こえる。
六日、広島原爆の日、一九四五年八月六日、午前八時十五分、広島市に原爆が投下され一瞬にして十数万人の命が奪われた。九日、長崎原爆の日、午前十一時二分、長崎市に原爆が投下され、七万数千人の命が奪われた。十日、日本政府はポツダム宣言の受諾を決定。十五日終戦記念日。
記念日という表現に違和感があるが戦争の廃絶と世界平和を願い終戦記念日が制定された、と調べた資料にはあった。記念日には明るい事柄が多いが忘れない為の暗の記念日もある。
死の伝達人 大倉元
忠義兄が骨となり/故郷祖谷へ戻って七十年余/戦争はむごい/三百万人を超える命を奪った/兄もその中の一人//戦闘で負傷した体の痛みに耐えて/思うように動かせない体で/いつも思い出したのは故郷祖谷の山々/父や母 弟や妹/二歳足らずで別れた弟の僕のこと/いつか日本へ 祖谷へ戻れると/がんばっていた/と 僕は思う//死の伝達人が/白い布で包んだ箱を持って/急な坂を/上がって来た/昭和十九年八月十五日/忠義兄はビルマで死んだ/二十六歳//母やんは箱を抱きしめ泣いた/泣き声は祖谷の山々にこだました/忠義兄を知らない僕の涙も止まらない(後略)
八月が過ぎ九月になったけれど、慟哭の声はまだ熱く聞こえる。
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
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