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2013年01月30日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「七卿落ち」から150年⑤

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「七卿落ち」から150年⑤
▲三条に謁見する高杉(画マツノ書店)

(1月23日付の続き)

松茸狩り

 ところが翌27日。三条らは仁保で松茸狩りを楽しむ。ここでも土方の日記を紹介してみよう。
 「四卿のお供で早朝より松茸狩りに出かけた。途中から雨が降り出したため、宿にて酒を飲む事に。帰りは暴風雨となったが、今日は大変愉快な一日だった」
 この日は、近所に住んでいた革新派の同志、周布が自刃した翌日。この危急存亡の秋に、なぜ彼らは松茸狩りなどに行ったのだろうか?

長府へ

 同年11月15日、この頃山口は保守派一色に。五卿は革新派の勢力挽回を図るため長府へ移ることとなり、その日の午後、山口をあとにした。
 この時、先鋒は遊撃隊。中軍の奇兵隊は五卿を護衛。後軍は八幡隊、膺懲隊。彼らは太鼓をドンドン打ち鳴らしながら長府を目指した―。

功山寺決起

 12月15日、ひとりの男が立ち上がった。その名は高杉晋作。打倒保守派を叫び、80人ばかりの同志を率いて挙兵。功山寺に潜居していた三条実美に謁見する。
 「長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す!」、大呼すると馬に跨った。そして、盟友福田侠平の制止を振り切り、明治維新という時代の夜明けに向かって駆け出していったのであった。(完)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)七卿落ち
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