アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 88人

店長情報 トップページ
店長情報

2019年06月19日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(180) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(180) 大村益次郎
▲黒門をイメージした壁泉(東京都台東区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(6月12日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

黒門口

 上野公園の南側入口の階段そばに「壁泉」がある。これは、かつてこの付近にあった「黒門」をイメージしてつくられたものである。
 この地にあった黒門は、1907(明治40)年、荒川区南千住の円通寺に移設された。黒く塗られたその門には、今でも無数の弾痕が残され、戦闘の激しさを今に伝える。
 東征軍と彰義隊との戦いが始まったのは、15日の午前7時頃であった。そこで、薩摩、鳥取、熊本藩兵が向かったのは、黒門口である。正面には薩摩藩、切り通しには鳥取藩、熊本藩は不忍池より黒門に迫る。東征軍の指揮所は、この三藩の担当場所のすぐ後方に置かれた。
 一方、彰義隊は、本坊に北白川宮能久親王を奉じ、本営を寒松院に置いた。天野八郎もここに詰めていた。
 彰義隊は、一時は3千人いたというが、当日は1千人ほどだったという。東征軍の攻撃を前に逃亡して行った者、寛永寺の外にいて戻れなくなった者も少なくなかった。
 彼らは、新黒門、穴稲荷門、清水門、谷中門、坂本門、屏風坂門、車坂門の八門に着き、天王寺にも立て籠った。
(続く。次回は6月26日付に掲載します)


同じカテゴリー(四境戦争 大村益次郎)の記事画像
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(185)大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(182) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(181) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(179) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(178) 大村益次郎
同じカテゴリー(四境戦争 大村益次郎)の記事
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(185)大村益次郎 (2019-07-24 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年 (2019-07-17 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(182) 大村益次郎 (2019-07-03 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(181) 大村益次郎 (2019-06-26 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(179) 大村益次郎 (2019-06-12 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(178) 大村益次郎 (2019-06-05 00:00)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。