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2016年01月01日

大村益次郎 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年①

大村益次郎 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年①
▲大村益次郎肖像(山口市歴史民俗資料館蔵)

大村益次郎 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年①
▲大村益次郎筆 石州口作戦図(山口市歴史民俗資料館蔵)

 今から150年前。1866(慶応2)年、長州藩は、大島口、芸州口、石州口、小倉口に幕府軍を迎えることになった。世にいう「四境戦争」である。この戦いで、石州口に参謀として赴いたのが、大村益次郎であった。この時、周囲の者は、村医者から身を起こした風采の上がらない彼の姿を見て、その作戦にあまり期待をしていなかった。しかし、この時、益次郎は入念に地形を調査。作戦図を描き、緻密な戦略を立てていた。その結果、長州軍は連戦連勝。周囲は驚き、やがて皆は、彼を敬服するようになった―。一介の村医者から、長州藩を代表する兵学者へと成長し、日本の軍制を司る存在へとのぼりつめていった大村益次郎。そんな彼の魅力について、郷土史家の松前了嗣さんに寄稿していただいた。

鋳銭司村に生まれる

大村益次郎 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年①
▲大村益次郎誕生地(鋳銭司)

 大村益次郎は、1825(文政8)年5月3日、周防国吉敷郡鋳銭司村(現・山口市鋳銭司)の村田家に生まれた。幼名を宗太郎、後に良庵、蔵六と改め、1865(慶応元)年、藩命により大村益次郎と称した。
 村田家は、代々医業を営む家系で、祖父・良庵は小郡の勘場付の医師をつとめた。祖母は中村家の出身。祖父母ともに益次郎の誕生前に他界した。
 父・孝益は秋穂村(現・山口市秋穂西)の藤村家出身で、村田家の養子となり、そこの娘・梅の夫となった。
 彼も医師であったが、そのかたわら、田畑を耕し農業をしながら一家を支えた。
 その後、村田家は、秋穂村の父の実家に転居することになる。益次郎が3歳頃のことであった。
(続く。次回は13日付に掲載します)

松前了嗣さんプロフィル

大村益次郎 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年① 1967(昭和42)年錦町(現・岩国市)生まれ。本業のかたわら、「NPO法人防長史楽会理事長」「(一社)山口県観光連盟歴史サポーター」「山口商工会議所明治維新150年記念事業実行委員会」などの活動に携わるほか、講演や執筆活動にも積極的に取り組み、『明治維新策源地、山口』の魅力を広く世間にPRしている。


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