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2016年01月13日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年② 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年② 大村益次郎
▲陽光が惜しみなく降り注ぐ(秋穂西)

(1日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

益次郎の両親

 益次郎の誕生地近くには、屏風のような姿をした高い岩山がそり立つ。陶ヶ岳、火の山の連山である。一家は、その南、秋穂村に転居した。
 父・孝益は、実家に相続者がいなかったため、ひとりで両家の面倒を見なければならなくなり、ついに鋳銭司村の家をたたむことになったのだ。
 彼は医業、農業を営みながら塾を開き、子弟の教育に尽くした。妻の梅もその事業を助けた。
 そして、明治初期。福楽寺の北、西天田墓地(秋穂西)に、門人によって夫妻の墓が建てられた。その墓石には、ふたりの戒名が刻まれる。孝益は習楽軒瑞光自性居士。梅は断機軒栄室妙貞大姉である。
 その名から、ふたりが門人たちに慕われていた様子がうかがわれる。
 梅の戒名は「孟母断機の教え」という故事に由来するという。
 ある時、学問を途中でやめ、帰省してきた孟子に対し、機織りをしていたその母は、織りかけの織物を刃物で切断した。
 「あなたが学問をやめるのは、私がこの織物を途中で断ち切ってしまうのと同じことです―」
 益次郎も、門人たちとともに父母のあたたかい薫陶を受けながら学問に励んだのであろう。
(続く。次回は20日付に掲載します)


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