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2016年01月27日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年④ 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年④ 大村益次郎
▲咸宜園跡に残る秋風庵(大分県日田市)

(20日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

咸宜園の教育

 1843(天保14)年4月7日、19歳の益次郎は広瀬淡窓の塾、咸宜園の門を叩く。
 淡窓は、学歴、年齢、身分を問わない「三奪法」により、区別なく人々を受け入れた。
 塾では門人たちが、午前5時から就寝する午後10時まで、ひたすら学問に励んだ。
 学習課程には、輪読、素読、数学など8つの課業と、文章課題、詩課題、書会など5つの試業(試験)、消権(面接試験)があった。
 これらの成績を評価し、無級から最上級の9級までの席次をつけたものが「月旦評」という成績表で、毎月公開された。
 こうして、咸宜園では徹底した実力主義の教育が行われたのであるが、その一方で、人間性、社会性の育成も図られた。
 そのひとつが塾内の職務を分担する「職任」である。
 ここでの主な役割には、都講(塾頭)、主簿(会計)、威儀監(礼儀指導)などがあった。
 「鋭きも 鈍きもともに 捨てがたし 錐と槌とに 使い分けなば」
 淡窓は、門人たちの意志や個性を尊重し、それを活かしていくことの大切さを説いた。
 彼の人格、見識をよく表した歌である。
(続く。次回は2月3日付に掲載します)


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