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2016年02月17日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑦ 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑦ 大村益次郎
▲波の音が時を刻む(秋穂東)

(10日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

九州遊歴

 周防灘が波打つ。空にはゆったりと雲が流れる。遠くには火の山の尖峰が美しい。
 益次郎が豊後国日田から秋穂村に戻って来たのは、1844(天保15)年7月のことであった。
 彼は、豊後、豊前国、その他の名所を遊歴し、学識ある名家を訪ねながら帰郷すると、かつての師、三田尻の梅田幽斎の下を訪れた。
 咸宜園で漢学の素養を身に付け、見聞を広げ、ひと回り大きくなった益次郎は、そこで蘭学修業を再開。翌1845(弘化2)年2月には再び九州諸国を遊歴。同年5月に帰塾した。

適塾へ

 大坂(現・大阪市)の適塾。当時、国内随一といわれたこの蘭学塾は、1838(天保9)年、蘭学者、医学者、そして洋学研究の第一人者として仰がれた、緒方洪庵によって開かれた。
 現在残されている「姓名録」等によれば、全国各地から集まった門人たちの数は、千人にも達したといわれている。
 1846(弘化3)年春。益次郎22歳。彼は、友人・山縣玄淑、石原淳道とともに郷里を発ち、大坂へと向かう。
 異郷の地では厳しい蘭学修業が待っていた。
(続く。次回は24日付に掲載します)


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