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2016年03月16日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑪ 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑪ 大村益次郎
▲栴檀木橋から土佐堀川を望む(大阪市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(9日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

塾風

 益次郎が適塾を去って5年後、1855(安政2)年3月。1人の男が洪庵の門を叩いた。後に慶応義塾を創設した福沢諭吉である。彼は晩年、適塾での生活をこう語っている。
 「塾風は不規則とはいわんが乱暴狼藉、まるで物事に無頓着。その無頓着の極は、世間でいうように潔不潔、汚いということを気にとめない。シラミは塾中の永住の動物で、誰ひとりこれを免れることはできない。ちょいと裸になれば、5疋や10疋も捕るに造作はない。大阪は暖かいところだから冬は難渋なことはないが、夏は真実の裸、褌も襦袢も何もない真っ裸。もちろん、飯を食う時と、会読をする時には、自ずから遠慮するから、何か一枚ちょいと引っ掛ける―」
 このように、門人たちのほとんどは、不衛生極まりない生活で、身なりにも全く無関心。縁日などに出かけると、町の娘たちは、「あれ、書生が来た」そういって、脇に避けたそうだ。
 熱帯夜の塾。2階の大部屋。その時、益次郎はどんな格好だったのか。浴衣姿か、褌姿か。それとも、全裸か…。
 その姿は、無数の刀傷が残された大部屋の柱だけが知っている。
(続く。次回は23日付に掲載します)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
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