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2016年04月13日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑮ 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑮ 大村益次郎
▲適塾の物干し場(大阪市中央区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(6日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

塾頭

 久坂玄機は、1820(文政3)年、長門国萩(現・萩市)で代々医業を営む久坂家の長男に生まれた。
 20歳年下の弟・玄瑞は、兄をこう評している。「倜儻にして気節あり(才気にあふれ、強い意志を持っている)」。
 儒学、医学、蘭学の深い素養を身に付けていた玄機は、1847(弘化4)年6月、適塾に入門。翌1848(嘉永元)年3月には、早くも塾頭となった。
 その頃、国内沿岸には、イギリス船、フランス軍艦、アメリカ軍艦、捕鯨船など、外国船の接近や難破が続発していた。
 こうした状況に、玄機は強い危機感を抱く。
 彼は、藩命により、蘭書「ヘロトン」を翻訳し、「演砲法律」という砲兵操典をまとめるなど、次第に兵学に深い関心を寄せるようになる。
 しかし、医学の道から遠ざかる彼を、故郷の両親は心配した。
 そんな中、彼は藩より帰国を命じられ、適塾を去ることになる。1849(嘉永2)年1月のことであった。
 その後、適塾では益次郎が玄機の跡を継ぐ。
 彼は、塾頭として、全国から集まった俊才たちの監督、指導に当たることになったのである。
(続く。次回は20日付に掲載します)


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