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2016年05月11日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑲ 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年⑲ 大村益次郎
▲高野長英の隠れ家(愛媛県西予市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(5月4日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

賢侯

 宇和島藩8代藩主・伊達宗城は、福井藩主・松平春嶽、土佐藩主・山内容堂、薩摩藩主・島津斉彬と並び、「幕末の四賢侯」と称される。
 また、英国外交官アーネスト・サトウは、回顧録の中で、彼を「大名階級の中でも一番の知恵者」と讃えている。
 宗城は、多くの蘭書から海外事情を学び、軍制改革を推進。洋式軍備や洋式兵法を取り入れるため、蘭学を積極的に導入した。そして、多くの優秀な人材を集めた。
 その中のひとりが陸奥国水沢(現・岩手県)出身、高野長英である。彼は、長崎でシーボルトの鳴滝塾に、日田では広瀬淡窓の咸宜園で学び、江戸において蘭学者、医師として活躍。しかし、幕政を批判したため投獄され、その後、逃亡した。
 長英の学識の高さを評価していた宗城は、1848(嘉永元)年、彼を密かに宇和島へ呼び寄せた。そこで長英は、塾を開き門人たちを教授し、兵学書の翻訳や砲台の設計などにも携わった。
 しかし、彼は、幕府に居場所が露見したという情報を入手。一時、鳴滝塾の同窓である二宮敬作のもとに身を隠すが、やがて江戸へと戻った。宇和島に滞在したのは約9カ月であった。

(続く。次回は5月18日付に掲載します)


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