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2016年06月15日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(24) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(24) 大村益次郎
▲大村益次郎居住地跡(宇和島市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(8日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

再出発

 イネが初めて卯之町を訪れたのは、1839(天保10)年、13歳の時であった。ここで敬作から医学の指導を受けた彼女は、その後、岡山の石井宗謙のもとで産科を学ぶため、この町を去った。1844(弘化元)年、18歳の時であった。あれから10年。彼女は再出発の時を迎えた。
 その頃、益次郎は、長崎での海軍伝習を終え、宇和島に戻っていた。
 彼は、城下の南、神田川原に1軒の家を借り、門人たちを集め、蘭学を教授した。
 そこで敬作は、イネを、益次郎に託した。
 こうしてイネは、益次郎の塾に起居し、蘭学の修業をすることになったのである。

忘れられぬ人

 益次郎の身元引受人であり、宇和島藩随一の蘭学者であった、大野昌三郎。彼は後に、イネの恋人、または、夫といわれた人物である。
 1865(慶応元)年4月、彼は藩に、イネと同居している旨を届け出た。しかし、ふたりは、やがて別々の道を歩み始めることになる。
 その後も昌三郎は、彼女のことを忘れることができなかったのか、自分の娘に、イネと命名したのである。
(続く。次回は22日付に掲載します)


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