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2016年06月29日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(26) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(26) 大村益次郎
▲樺崎砲台跡(宇和島)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(6月22日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

砲台築造

 宇和島市にある樺崎砲台跡。石垣が往時の姿を今に伝える。しかし、周囲は埋め立てられ、地形は大きく変化している。
 1855(安政2)年3月。宇和島藩は、軍艦雛形建造に加え、海岸の守りとして、樺崎砲台の築造に着手していた。
 この時、益次郎も、長崎で学んだ新知識をもって、砲台の設計に参画。12月に完成した。
 翌1856(安政3)年2月23日。雨の降る中、砲台で試射が行われ、宇和島湾をにらむ5門の大砲が火を吹いた。
 益次郎は、この事業を指導した功績により、藩主・宗城より金千疋を賜っている。

参勤交代

 1856(安政3)年3月11日。益次郎は、藩主の参勤交代に従い宇和島を発った。
 21日、大坂に立ち寄った彼は、緒方洪庵のもとを訪れた。敬愛する師との再会である。
 しかし、当時、洪庵の門人が腸チフスを患い、生死をさまよっていた。益次郎の後輩にあたる福沢諭吉である。その後、諭吉は、洪庵と、その友人である医師・内藤数馬の献身的な治療により、一命を取り留める。
 そして、翌年には、塾頭となったのである。
(続く。次回は7月6日付に掲載します)


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