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2016年07月13日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(28) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(28) 大村益次郎
▲楠本家の菩提寺皓台寺(長崎市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(6日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

一枚の写真

 「Lief Otada!(愛しいおただ)」。「I love you in all times(私はいつもあなたを愛している)」
 あどけない表情をした少女の写真。そこにオランダ語と英語で書き込まれた文字は、三瀬諸淵の筆によるものである。
 そして、その少女の名は、後に諸淵の妻となる、イネの娘・タカ(タダ・高子)である。
 写真は、1865(慶応元)年、彼女が14歳の頃に撮影されたものといわれている。

出会い

 諸淵は、1839(天保10)年、伊予国大洲(現・愛媛県大洲市)に生まれた。生家は、塩問屋を営む豪商で、母は、二宮敬作の姉である。早くに両親を亡くした彼は、学問で身を立てる決心をし、叔父・敬作に師事。宇和島ではイネとともに益次郎から蘭学を学ぶ。
 1856(安政3)年3月、敬作とイネに伴われ長崎へ赴いた諸淵は当時18歳。一行は、イネの母・タキの再婚先である俵屋という商家に入った。
 この時、1851(嘉永4)年生まれのタカは、まだ6歳。諸淵と結婚するのは、1866(慶応2)年3月。10年後のことであった。
(続く。次回は20日付に掲載します)


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