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2016年07月20日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(29) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(29) 大村益次郎
▲大槻俊斎旧宅跡周辺の様子(東京都千代田区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(13日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

大槻俊斎

 「練塀小路大槻に入る。偽りにて有之候へ共、江戸の名医、眼医と偽りて入るたる内」
 1856(安政3)年5月6日、益次郎は、医師・大槻俊斎のもとに身を寄せた。眼病の治療を理由に、ここで学問に励むためである。
 陸奥国桃生郡(現・宮城県)出身の俊斎は当時51歳。1821(文政4)年、江戸で手塚光照らに医学を学び、1837(天保8)年には長崎へ赴き蘭学を修習。1840(天保11)年、江戸下谷練塀小路に開業した。
 また彼は、脱獄した高野長英を匿ったため、その嫌疑により、閉門を命じられたこともあった。
 そして、益次郎が彼のもとを訪れた2年後の1858(安政5)年、伊東玄朴らとともに、お玉ヶ池種痘所を設立。この施設は、後に東京大学医学部へと発展した。

私塾を開く

 益次郎が俊斎のもとを訪れて半年経った頃、周囲では、洋学や西洋兵学を志す者が多くなった。
 そして、益次郎の名を聞き、入門を願い出る者も増えてきた。
 そこで彼は、宇和島藩の許可を得て、江戸で私塾を開くことになったのである。
(続く。次回は27日付に掲載します)


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