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2016年07月27日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(30) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(30) 大村益次郎
▲鳩居堂跡周辺の様子(東京都千代田区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(7月20日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

鳩居堂

 皇居の広大な地を取り囲む濠のひとつ、千鳥ヶ淵。朝の光が輝き始め、水面には緑の影が映し出される。
 1856(安政3)年11月1日、益次郎の私塾である鳩居堂は、その近くに開かれた。
 弟子籍には、二宮敬作の長男・逸二、初代塾頭を務めた適塾出身の太田静馬。開塾の際に尽力し、後に塾頭となった安達幸之助らの名前が見えるが、これより先、1858(安政5)年に、長州藩の久坂玄瑞が、翌年には、長州ファイブのひとり、遠藤謹助が入門している。ところが玄瑞は、蘭学の素養が足らなかったため、講義についていけず、結局、郷里へ戻ったといわれている。
 こうしてこの塾には、北は松前藩、南は薩摩藩まで、全国各地から多くの門人が集まった。
 ここで定められた学則は、咸宜園と同様、学力によって、等級が無級から9級までの10段階に分けられ、無級の者は、適塾と同じく、オランダ語の教科書、ガランマチカで文法の基礎を、セインタキスで文章構成法の基礎を学んだようだ。
 このように、益次郎は、かつての学び舎、咸宜園と適塾、そこで培った教育方法を、この塾に取り入れたのである。
(続く。次回は8月3日付に掲載します)


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