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2016年08月10日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(32) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(32) 大村益次郎
▲移転後の講武所跡周辺の様子(東京都千代田区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(8月3日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

講武所

 1856(安政3)年4月13日、幕府は、家臣に対し、剣術、槍術、砲術などを学ばせるため、築地に講武所という兵学校を開いた。翌年には所内に、軍艦教授所(後に軍艦操練所と改称)を開設。諸藩士に対しても修業を許可した。
 同年11月11日、益次郎は、その講武所へ出向となった。この時、ともに出向した備中国鴨方藩(現・岡山県浅口市)出身、原田一道は、後に当時の様子を、このように語っている。
 「先生は、天性理解力に長じた人で、読書、翻訳とも余程優れておられました。当時、講武所における兵書翻訳のごときは、参られてからは、にわかに面目を一新した次第でござります。新規舶来の原書の難文も、先生の前にいけば、いつも容易に解釈せられ、いかにも感心な学才を持っておられました」
 優れた語学力、兵制改革に関する最新知識。日頃は、生徒に対し無口で無愛想な益次郎も、学問上においては非常に親切だったという。彼の講義は好評を博し、所内に新たな風を吹き込ませた。
 その後、築地の講武所は、軍艦操練所用地となったため、1860(安政7)年、小川町へと移転した。
(続く。次回は8月17日付に掲載します)


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