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2016年08月17日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(33) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(33) 大村益次郎
▲宇和島藩上屋敷跡(東京都港区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(8月10日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

陸路と海路

 「十二月四日、龍土(宇和島藩上屋敷が置かれた場所)帰省願相叶申候。往来五十日。滞留三十日。外に宇和島御用六十日。十一日、蕃書調所へ龍土より願出す。二十日、調所願済」
 講武所に出向して1年が過ぎた頃、益次郎は、父・孝益の病気と、宇和島藩の用務を理由に、一時江戸を離れることになった。早速彼は、両親や妻への土産を買い求めた。その品物は、「簪、煙管5本、鼠縮緬5尺、行李、磁石、熊の油、状袋、打緒、髪飾り、大小切絵、懐中暦、行平、硝酸、刀下げ紐、羽織紐」などであった。
 こうして益次郎は、二宮敬作の次男・逸二と、若党の戻次を伴い郷里へと向かった。この時、鳩居堂の門人である太田静馬と安達幸之助も、途中まで同行。その日彼らは、品川宿で離杯した。時に1858(安政5)年12月23日であった。
 その後、益次郎一行は、名古屋で正月を迎え、6日、大坂へ到着。緒方洪庵のもとを訪れた。大坂からは船で瀬戸内海を進み、13日夜、西浦(防府市)に着いた。船が苦手といわれる益次郎だが、船酔いに苦しむ事はなかったのだろうか。翌日彼は、大海(秋穂東)へと渡った。
(続く。次回は8月24日付に掲載します)


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