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2016年08月31日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(35)大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(35)大村益次郎
▲医学伝習所があった高島秋帆邸跡(長崎市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(8月24日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

再会

 郷里を発ち、益次郎が再び宇和島を訪れたのは、1859(安政6)年2月18日の夜であった。そして、翌日には大野昌三郎のもとを訪ねた。
 その頃、長崎からは、二宮敬作の甥・三瀬諸淵が、卯之町(現・愛媛県西予市)、大洲(現・愛媛県大洲市)へ帰省していた。この時彼は、大洲の肱川の河原で、電信の実験を公開し成功。3月中旬頃、再び長崎へと向かった。
 一方、長崎に滞在中の二宮敬作と楠本イネは、7月6日、シーボルトとの再会を果たす。この日は、かつての門人たちが集まり、互いに手を取り合って喜び合った。
 この時シーボルトは、30年ぶりに会う娘・イネと、かつては妻であったタキの手を握り締め、長年の労苦に対し深いねぎらいの言葉をかけた。
 その頃、父と同様、医学の道を歩んでいたイネは、オランダ海軍軍医・ポンぺに師事していた。この年の9月、ポンぺは、日本初の人体解剖実習を行った。そして11月には2回目の解剖が行われたが、この時、60人以上の見学者の中で唯一の女性がイネであった。その時、イネの優秀さに気付いていた彼は、彼女に外科手術の助手を務めさせている。
(続く。次回は9月7日付に掲載します)


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