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2016年10月05日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(40) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(40) 大村益次郎
▲朝陽が街を照らす(東京都千代田区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(9月28日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

長崎から江戸へ

 1861(文久元)年3月、その頃、長崎に滞在中であったイネの父・シーボルトは、幕府の要請により、江戸へ赴くことになった。彼は、長男・アレクサンダー、二宮敬作の甥・三瀬諸淵を伴い、長崎を発った。
 この時イネは、自分の娘であるタカと、諸淵を結婚させようと考えており、諸淵の江戸行きについては反対であった。しかし、父・シーボルトの説得により、結局彼女も、彼が江戸に行くことに同意したのであった。
 こうして、江戸に着いたシーボルトは、まず、幕府が開いた赤羽根の接遇所で門人たちを集め、西欧の学問や技術を教えた。そこで彼は、採鉱、治金、経済、福祉、教育制度、医学、薬学など、広範囲にわたる講義を行った。しかし当時、国内では、攘夷の機運が高まっていたため、シーボルトも、命の危険にさらされていた。
 こうした中、シーボルトの通訳を務めていた諸淵が、身分を偽り帯刀していたという理由で、幕府に捕縛されるという事件が起きた。シーボルトは、必死で釈放運動をするが、諸淵は、1862(文久2)年4月まで獄へと繋がれることとなり、失意の毎日を送ることになるのであった。
(続く。次回は10月12日付に掲載します)


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