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2016年10月19日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(42) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(42) 大村益次郎
▲二宮敬作墓所より長崎の町を望む(長崎市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(10月12日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

追 放

 1861(文久元)年4月、益次郎は江戸へ戻った。藩地滞在は数カ月であった。その後、彼は、江戸麻布藩邸内で、再び兵学の講義や、翻訳等に励む。当時、彼の名は、広く世間に知れ渡っていたため、以前にも増して、多くの門人たちが彼のもとを訪れるようになった。
 その頃、江戸において、日本と諸外国との通商問題について、幕府に対し様々な助言をしていたのがシーボルトである。しかし、こうした彼の行動を好ましく思わなかった諸外国は、シーボルトと幕府を切り離そうと、圧力をかけた。幕府は、紛争に発展することを恐れたのか、シーボルトを解雇した。同年12月、日本の利益を第一に考えていたシーボルトは、失意の中、長崎へと向かった。長男のアレクサンダー、通訳の三瀬諸淵を江戸に残して。

ふたりの父

 1862(文久2)年3月12日、この日、長崎において、二宮敬作が、58年の生涯を閉じた。イネの父・シーボルトが長崎を発ったのは翌月のことであった。父のように慕っていた敬作の死。実の父・シーボルトとの別れ。イネの悲しみはいかほどであったろうか。

(続く。次回は10月26日付に掲載します)


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