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2016年11月02日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(44) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(44) 大村益次郎
▲緒方洪庵の墓がある高林寺(東京都文京区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(10月26日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

道のため

 1862(文久2)年8月21日、益次郎の恩師・緒方洪庵は、奥医師(将軍の侍医)となった。医師として最高の栄誉である。そして翌月には、医学所頭取兼帯を命ぜられた。
 以前より、江戸行きを断り続けていた彼は、大坂を発つ際、「道のため、討死の覚悟」であるという決意の言葉を、次男・惟準、三男・惟孝に告げた。また、彼の手紙には、よく「国のため」という言葉も記されていたといわれる。
 彼のいう道とは、すなわち医学、医術のことである。国とは社会、国家のことである。
 名利を追うことなく、ひとりの医師として、病気に苦しむ人々を救済しようとするその思想。種痘法やコレラ治療法の紹介、普及活動。「全ては道のため、国のため」。こうして彼は、常に最善なるものを目指した。

喀血

 1863(文久3)年6月10日朝、洪庵は、江戸城出勤前に喀血。帰らぬ人となった。享年54。
江戸に出て10カ月後のことであった。
 現在、彼の墓は、東京都文京区にある高林寺と、大阪市北区の龍海寺の墓地に建てられている。

(続く。次回は9日付に掲載します)


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